久留米版徒然草 Vol.384

福岡県ができるまで

九州歴史資料館にて企画展『福岡県ができるまで』を見学。2026/7/04




九歴講座(渡部邦昭先生)を拝聴。
九州に関しては(浦賀のペリーよりも)長崎のプチャーチンの衝撃が大きかった。

 久留米藩は幕末維新時「勤皇派と佐幕派」双方の貴重な人材を失う。福岡藩も同様「乙丑の獄」で勤王派を粛清。佐幕派一辺倒になった後、戊辰戦争が始まり藩政を担っていた家老が切腹を余儀なくされた。特に福岡藩は財政難の結果「贋札事件」を起こし日田県知事の松方正義による調査の後、大量の処分者を出した。明治4年7月、知事黒田長知は免職。有栖川宮熾仁親王が知事になる(廃藩置県前に実質的な改易処分を受けていた)。そのため「明治初期の福岡県」は振るわなかった。
 黒田長知は岩倉使節団に同行して洋行。随行し留学したのが金子堅太郎(ハーバード大)と団琢磨(マサチューセッツ工科大)。彼らが帰国後に明治後半の「政治・経済」をリードしていく。

この文書を観ると「岩倉具視」「大久保利通」は実在した人物だったんだなと感銘を受ける。秩禄処分(明治9年8月5日)に関する地元の文書類も極めて興味深い。

西南戦争(明治10年)を経て明治17年に華族令が発布され、旧藩主は侯爵や伯爵になる。こうして新政府は旧体制の支配層を「天皇制秩序に組み込む」ことに成功したのです。

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