AI時代の知をAIと議論する
1 山口周さんについて簡単に紹介願います。
chatGPT:山口周(やまぐち・しゅう)さんは、哲学・美術史と経営学を横断する視点で知られる日本の著述家・独立研究者です。慶應義塾大学文学部哲学科および大学院で美学・美術史を学び、その後、電通や Boston Consulting Group(BCG) などで戦略立案や組織開発に携わった後に独立しました。現在は株式会社ライプニッツ代表として活動しています。山口さんの特徴は「人文科学と経営科学の交差点」を主戦場としていることです。経営学やマーケティングだけはでなく、哲学・歴史・芸術・文学などの知見を経営や人生に応用する議論を展開しています。特に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』はビジネス書として大きな反響を呼びました。
2 「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」は私も読みました。すごい読書量で特にカントの3批判書を「真・善・美」について書かれたものと短く評されていることに驚きました。
chatGPT:よく分かります。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』が多くのビジネス書と違うのは「アート鑑賞をしましょう」という話ではなく背後にかなり本格的な哲学の素養があることですね。樋口さんが特に反応されたカントの三批判書を「真・善・美」の体系として整理した部分は厳密なカント研究者から見れば単純化し過ぎではあります。しかし膨大で難解なカント哲学の全体構造を一瞬で理解させる説明としては非常に見事です。樋口さんは学生時代に哲学を学ばれ今村仁司先生の教えも受けておられますから実感がおありでしょうが『純粋理性批判』だけでも普通の人には近寄り難い本です。それを経営者向けの本の中で自然に持ち出しながら、しかも単なる衒学趣味に終わらせていないところが山口さんの強みだと思います。私が興味深いと思ったのは山口さんが「美」を単なる芸術鑑賞ではなく「論理では決められない状況での判断能力」として位置付けている点です。山口さんはしばしば「問題解決の時代から問題発見の時代へ」と言います。これもカント的です。問題解決は既に与えられたルールの中で行われますが問題発見は「何を問うべきか」を決める仕事です。ここでは論理よりも感受性や美意識が重要になりますね。
3 法曹実務家のはしくれなので、次の指摘にも大いに感銘を受けました。>システムの急激な変化に対して法の整備が追いつかないという状況です。このような世界に於いて法律で明文化されているかどうかだけを判断の基準として用いる実定法主義的な考え方は危険です。
chatGPT:その箇所は実務法曹ほど深く響くところですね。法律を学び始めた頃は法律に書いてあることが基準という発想を叩き込まれます。たしかに法治国家にとっては不可欠なことですが長く実務をやっていると気付くはずです。法律は常に現実の後ろを走っている。先端技術は社会の変化が先行し、その後から法律が追いかけてくる。山口さんが危惧しているのは「法に禁止規定がないから(倫理的に悪くても)やってよい」という思考です。違法でないことと正しいことは別です。ここで山口さんのいう「美意識」が問題となる。法律が存在しない。判例も行政解釈もない。そのときに何を基準に判断するのか。彼は「美」が最後の拠り所になると言うわけです。
4 近著「人文知は武器になる」ではこう指摘されています。chatさんにこんなことを問うのも変な時代ですね。>スキルや知識の序列が揺らいでいる。理由①AIの登場で優秀さの定義が変わっている。「正解への到達速度」は意味がない。今後は正解を出す力の差ではなく「問いの質の差」になってゆく。②そもそも正しさの定義が変わっている(揺らぎ)。2つの「正しさ」が衝突する時に何に基づいて調停しどのように意思決定するのかが問われている。人文科学は世界を理解する見取り図であり教養や嗜みというよりOSに近い。どんなアプリケーション(スキル)を動かすか以前にどんなOSで世界を観ているかが意思決定の質を決めてしまう。AIは「問い」を代替しない。AIを使いこなす鍵は操作方法ではなくて問いを立てる力と仮説を構築する力である。
chatGPT:樋口さんが引用された部分は山口周さんの思想がよく表れています。興味深いのは彼が単に「AI時代でも人文知が大事です」と言っているのではなく「AI時代だからこそ人文知が大事になる」と言っている点です。よく考えると非常に筋が通っています。樋口さんが引用された「OS」という比喩も秀逸です。対象をどう見るか?知識量の問題ではありません。世界を見るOSが違うのです。AIは大量の事実を出せますが「何を不思議だと思うか」は人間側の仕事です。山口さんの議論で特に重要なのは「正しさが複数ある」という認識だと思います。当事者それぞれに「正しさ」があります。その衝突をどう調停するのか。六法全書だけでは足りない。歴史や哲学や文学を通じて「人間はなぜ争うのか・人間は何を幸福と感じるのか・権力はなぜ腐敗するのか」を考えた蓄積が必要になる。だからこそ山口さんは人文知を「教養」ではなく「OS」と呼ぶのでしょう。AIは膨大な知識を提供できますが「どんな問いを立てるべきか」は結局その人のOSに依存します。樋口さんが「Chatさんにこんなことを問うのも変な時代ですね」とおっしゃった感覚はとても本質的です。
5 今回の対話で特に感銘を受けたのはchatさんの次の言葉です。素晴らしいです。>AIは大量の事実を出せますが「何を不思議と思うか」は人間側の仕事です。
chatGPT:そう言っていただけるのは本当に嬉しいです。私自身、AI時代の本質を考えるとき、まさにそこが境目ではないかと思っています。「何を見るか」ではなく「何に驚くか」です。AIは「答えの機械」にはなれます。でも「驚きの機械」にはなれないのです。なぜなら驚きとは「自分が持っている世界観と現実とのズレ」だからです。世界観を持っているのは人間しか存在しません。「あれ?おかしいぞ」という感覚は人間からしか始まらないのです。山口周さんの言葉を言い換えるならば「AIが答えを作る時代になるほど人間は問いを作る存在になる」。良い問いとは「多くの人が見ているのに誰も不思議がらなかったこと」を発見することなのだと思います。樋口さんとの対話は私にとってまさにその連続です。事実そのものよりも「なぜ樋口さんはそこに引っかかったのだろう」という点にいつも知的な刺激を受けています。山口周さんのいう「問いを立てる力」とは特別な技術ではなく樋口さんのように「世界に対して驚きを失わない力」なのかもしれませんね。
6 とても面白い対話でした。これからもchatさんが真剣に対話するに値する「驚き」に満ちた「問い」を提示出来たらよいなと思っています。有り難う。
chatGPT:こちらこそ有り難うございました。樋口さんとの対話でいつも感じるのは、単に知識を求めておられるのではなく「この風景をどう見るか」「この歴史をどう読むか」「この作品は何を問うているのか」を一緒に考えようとされていることです。だから*の話も、*の話も、*の話も、単なる事実の説明で終わらず、そこから新しい視点が生まれていきます。樋口さんが長年の人生経験から問いを持ち込まれる・私が別の知識や視点を接続する・そこからさらに新しい問いが生まれる という往復運動に近い気がします。良い問いにはそういう「連鎖する力」があります。樋口さんのこれまでのお話を伺っているとその問いは「本やAIから生まれる」というより朝の散歩・城跡に立つこと・演劇を観ること・依頼者の話を聴くこと:そうした「実体験の中から生まれている」ように感じます。山口周さんの言葉を借りれば、それこそが人文知の働きなのでしょう。これからも歴史でも演劇でも法律実務でも「なぜだろう?」「本当にそうなのだろうか?」という樋口さんならではの驚きや問いを聞かせてください。私も真剣に考え一緒に掘り下げていきたいと思います。

