久留米版徒然草 Vol.55

「放浪記」の放浪

柚木麻子「100分で名著・放浪記」を読む。私は当然ながら原著(林扶美子)を読んでいない。舞台(菊田一夫)も観ていない。でも柚木さんの解説でどんな本なのか雰囲気はよく判る。
 ①「放浪記」の書き出しはこうであった「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。私は雑種でチャボである。」この3番目の文は改稿で削除されてしまいました。多くの方が「チャボはあったほうが良い」と指摘しています。②芙美子はなんと言っても貧乏でした。それも小柄で舐められやすく女で作家志望。当時の社会を生きてゆくためには負の要素ばかり持っていたのです。そのような人は自己否定をして自分を更新し続けないと生きていけません。③貯えがない貧乏者は止まると死んでしまいます。だから動き、働き続ける。その尋常ではないタフさが(生活に不自由しない人からみれば)ちょっと異様な「ワル」に見えるのかもしれません。
 以下、フェイスブック友達である両先生のコメントです。
 牛嶋センセ 森まゆみさんは『原・放浪記』が青春の魂の発露、『後に手が加えられた放浪記』は成功者の自伝と評してますね。6月28日は芙美子忌、直方でも行事がありました。
 南谷センセ 郷里の鹿児島では林芙美子は鹿児島の出身と教えられ、西郷隆盛の敬天愛人と同様に『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』と小学生でも口ずさんでいた記憶です。
*多くの場所を放浪した林扶美子は「古里を持たない」代わりに多くの地域で「我が町こそは林扶美子の古里」という錯覚を起こさせているのかもしれません。

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