法律コラム Vol.2

皮膚感覚としての弁護士会

私は昨年4月に福岡県弁護士会副会長に就任し本年3月に任務を終えました。内部から見た弁護士会は外から見ていた姿とは違いました。この違いを言葉にすることは難しいのですが「皮膚」という隠喩を使ってまとめたのが次の文章です。(福岡県弁護士会「月報」06年5月号への寄稿)

副会長就任にあたり先輩から「会務をやると弁護士会の見方が変わるよ」と言われていましたが任期を終えた今の感想は正にそのとおりです。就任前、私は弁護士会が「脳」や「心臓」に該当すると思っていました。そういう面があることは否定しませんが、やってみた感想は違います。現在の印象は弁護士会とは「皮膚」ではないかというものです。私たちは皮膚を意識せずに暮らしています。が私たちは皮膚無しでは生きられません。皮膚の内側でしか生きられません。胃を全摘出しても肝臓の3分の1を切り取っても命に別状はありません。しかし皮膚の3分の1を失うと死に至ります。皮膚によって私たちは体液の流出を防いでいます。皮膚によって外敵の侵入を防ぎ、皮膚によって外界と接し、情報を獲得し外部環境の変化に対応しているのです。弁護士は弁護士会に属することによってしか弁護士活動が出来ません。弁護士会を通じて外界と接していると言って良いでしょう。この1年の会務を通じ、私は弁護士会が外界の環境変化に対応して・よりよい体内環境を整えるために存在することを認識しました。体液の流出(弁護士モラルの低下)外敵の侵入(業際問題での無限後退)環境(社会意識)変化に対する対応の遅れは弁護士活動に対する致命傷になりかねません。わが執行部は良き皮膚機能を果たすべく努力しましたし私も他の執行部諸先生に迷惑をかけないようについていったつもりです。皮膚(表皮)は一定期間の役割を終えると剥がれ落ち、次の皮膚にとって代わられます。これにより皮膚は全体として新規性と同一性を両立させているのです。わが執行部も任期の終了により役目を終え新執行部に皮膚の機能を引き継ぎました。新執行部が激動する外界の環境変化に上手に対応していかれますようエールを送ります。

* 全国の執行部諸氏と交流して感じたことは会務における現場感覚の重要性です。都市が脳化社会の産物であるならば、東京の弁護士が観念論(頭でっかち)になるのはある意味でやむを得ないことなのかもしれません。しかし田舎の弁護士は不毛な観念論の応酬をしている暇はありません。現場に即して実践の中から積み上げた議論だけが検討に値するものだと感じます。
* 私は「福岡県弁護士会会報」を10年ぶりに発刊する作業を会長から命じられました。この中で福岡県弁護士会の先輩弁護士達が実践の中から大いなる成果を積み上げられてきたことを学んで深い感銘を受けました。座談会の最後に元会長は「今、すごいというか完全に脱却しているのは<議論の空中戦をやらない・観念論の応酬をしない>という手法が徹底的に九弁連内に身に付いていることだと思います」との発言をされました。これこそが「皮膚感覚」です。

前の記事

弁護士会の静脈

次の記事

弁護士法72条について