法律コラム Vol.29

出資か貸金か

 事業目的で使われる金銭を拠出した場合に、明確な書証が作成されていないと、拠出側は「貸金」と認識しているのに受領側が「出資」だと争うことがあります。私も争ったことがあるので紹介します。事案は債務不存在確認請求訴訟(本訴)と貸金請求訴訟(反訴)です。当職は被告(反訴原告)の代理人です。1審(東京地裁)は原告(反訴被告)の言い分を認めました。そこで東京高裁に控訴したものです。焦点となるのは適用すべき「経験則」です。

 原判決は「金銭消費貸借契約書が作成されているとは認められない」と述べ、これが「到底考えられないこと」と評価する。その上で、先に認定した事実経過からすると「出資であったことが推認される」と結論づける。しかし、
 第1に本件で契約書が無いことは当事者間に争いがない。裁判官が「作成されているとは認められない」と認定するような事柄ではない。問題は両者間の契約(合意)の意味の解釈なのである。原審裁判官は問題の所在が判っていない。
 第2に趣旨がいかなるものであろうと*円もの現金が契約書無しに動く異常性は、出資であれ貸金であれ、両者に等しく作用する。裁判官は出資の趣旨ならば*円もの現金が契約書無しに動くことは当たり前というのであろうか。本件は出資であれ貸金であれ、経験則に反する事態であり、これを貸金を否定する方向でだけ機能させるのはフェアな事実認定とは言えない。
 第3に原判決の論法は「ここだけ貸金の書面がないから」という「反対解釈」の手法であるが「他は全て貸金であるから」という「もちろん解釈」の手法もあり得る。本件が出資であるなら事後の金員拠出が何故「追加出資」ではないのかの説明もない。本件が出資であるなら通常は事後の金員拠出に関しては「出資条件の変更」に関する打ち合わせと書面化が必要であるが、かかる行動も無い。現実には安易な「追加融資」が行われているだけである。
 第4に「出資」とは余剰資金を有している者が、リスクを覚悟で高い収益をねらう場合に行われる希な契約である。しかし、本件で被告(反訴原告)は*円もの余剰資金たる現金を有していた訳ではない。これは被告(反訴原告)が親族を通して他人から借りたものである。
 第5に返済義務を負わない多額の金員を出資として交付するのは自分の事業を法人成りするか・株式市場等の環境整備がととのっているか・贈与的なものかのいずれかである。他人に対し明確な出資条件を書面化しないで*円もの大金を「出資」するなど経験則に反する。
 第6に訴訟前の調停において相手方(原告)からは出資であるとの明確な主張はなく、ただ返済の額や方法を緩めてとの懇願が為されていたのみである。
 第7に原判決は原告(反訴被告)が*の開業準備をしていたことをもって本件を「出資」と単純に位置づける。しかし仮にそうであるなら開業準備行為にお金を出す行為が全て出資ととられかねない。これこそ経験則に反する。

* 東京高裁は本件を「貸金」と認定し、原判決を取り消して請求を認容しました。相手方は上告受理申立をしましたが最高裁は不受理でした。
* 参考判例として大阪地判昭和58年7月15日があります。この論点に関する議論として判例タイムズ1258号11頁の裁判官座談会が参考になります。

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