検察官・裁判官・調査官
映画「ジョーカー」を拝見する。私は「バットマン」シリーズを1度しか観たことがないし、その感想も良いものではなかった(単なるアメリカ式の勧善懲悪モノとの見方)。したがって話題になっている本作品も(ジョーカーのことすら良く知らないままでは映画の内容を理解できないのではないかと考え)ネット上の「バットマンのヴィラン一覧表」なるものを読み、その特徴・演じた俳優などを頭に入れて映画館に向かったのである。映画を拝見後、購入したパンフレットを読み込み冷静に頭を整理してから次の考察をする。(以下は映画評論・FBへの投稿)
本作品には(法律家的に)3つの類型的感想が出るように予想される。検察官・裁判官・調査官である。法と秩序を愛する人(検察官)からは不愉快極まりない駄作として罵声を浴びるだろう。腐臭の漂うゴッサムシテイは政治の機能不全を象徴しているし、暴動の蔓延する街は治安の欠如した最悪の未来を予感させる。エリートの不幸は大衆の秩序破壊願望を表象する。それを押さえ込むことを自己の役割と心得る者にとって最悪の映画と言う他はない。映画を類型的に観る人(裁判官)からは良くあるパターンの1つとして凡作という評価になるかもしれない。「犯人にも事情がある」という図式の似た物語は少なくない。パターン認識を徹底すれば確かにそうかもしれない。しかし、私は本作を「調査官」のような目で観た。調査官に求められる社会学(格差社会・銃社会・マスコミ)や精神医学(被抑圧者の心理・人格障害・薬物・医療の貧しさ)や家族法(出生と養育)などのアメリカ社会に内在する問題性を一気に浴びせかけられた気分である。私は「法と秩序」の見地からジョーカーを単純に断罪する気にはなれないし「パターン認識」によって冷徹に突き放す気分にもなれない。この映画は「ジョーカー(アーサー)とは何者か?」ではなく「(この映画を観ている)自分とは何者か?」を見極める良い試験紙である。