歴史散歩 Vol.45

歴史コラム(イメージの風土学)

福岡県は明治初年に豊前・筑前・筑後という風土の異なる藩を一体化して形成された県です。人の気質には際だった違いがあります。福岡県立美術館「イメージの風土学 ”川”の筑後と”海”の筑前」の図録において丸山豊は「光る砂、輝く泥」と題した論考で、こう述べます。
 <福岡市をかなめにしてマリンブルーの玄界灘に羽をひろげた地区を筑前とよび、有明海の暗紫色のうるおいが滲透した久留米・柳川・大牟田をつつみこんだ広大な農村地帯を筑後ととなえる。(略)2つの国の地理的な隔たりはわずかであるが、天候にも・気質にも・方言にもはっきりとした違いがある。(略)だから私たちは2つの国のイメージを大胆に筑前は砂の世界であり筑後は泥の領域であると呼ぶことができる。砂の身がるさ・泥の重さ。砂の風土は砂にふさわしい画家を育て、泥の風土は土と艶とに似つかわしいタブローを産んだ。(略)主題のことも看過できない。筑前の画家には静物や人物が多く、風景にしても都市生活の明るい事情をたたえた透明度の高い作品を好んで描いている。明快な海岸風景の多いことはいうまでもない。画面の処理は粋であり主知的である。筑後に目を移せば、そのテーマは申し合わせたように農村風景であり、農具であり、野に憩う家畜であることが多い。あるいは踏みしめる地表の息づかいであり、精霊をはらむ有明の干潟であり、憂愁へいざなう河畔のうるおいである。自然の心奥へもぐりこむ粘着力のある視力に生命の根源を見つめようとする妖しい執心をものがたっている。(略)さて、ふたつの風土に成長してゆく画家たちにとって、素材の選択などの以前に重要なのは風土が育んだ自然観や世界観の相違である。つまり、筑前の画家には西洋的主知的思考が濃厚であり、筑後の場合はひとたびは洋画の教養をくぐりロマンチシズムの壮麗を通過しながら、ついには東洋的な思惟へすみやかに帰心してゆくようである。>
 私たちは自分1人でモノを見ているように感じています。しかし私たちは生まれ育った地域の風土から影響を受け、その枠組みの中で精神活動を行っています。地域の風土的制約から切り離された個の領域は自分が思っているより遙かに小さいものなのかもしれません。

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