歴史散歩 Vol.84

医師の劇団3

 今回は嫩葉会の大正13年・14年・15年の活動を振り返ります。前回と同様、絵は嫩葉会年鑑からの転載・写真は安元知臣様から借用したものです。

 大正13年は7回の試演会が行われています。その中で17本の新作が披露されています。知之は6月に上京して開設されたばかりの「築地小劇場」を観劇した他に、8月には田主丸の劇研究会でも新作を披露します。新設された室内劇場には照明装置も取り付けています。
第7回試演会(1月16日)
11. 武者小路実篤「二八歳の耶蘇」
12. ダンセイニ「アラビヤ人の天幕」
  夕方にはタランナ市を出て、聖地メッカに向けてまた駱駝で沙漠を旅することになるベルナアブとアオーブ。一度旅立つと、もう幾週間も市(まち)を見ることはない。「何千の悪魔の親の、ひからびた欲深じじい奴!」と言われながらも沙漠の美しさが目の前に広がるように感じられ、王の沙漠への渇望が感じられる。

13. スートロ「どん底の2人」
14. 武者小路実篤「野島先生の夢」

第8回試演会(4月10日)
15. ストンドベルグ「より強いもの」
16 .倉田百三「俊寛」
  平清盛によって鬼界が島に流され困苦な日々を送る俊寛・成経・康頼の3人。何があっても生死を共にすると誓い合った3人だが、赦免された成経と康頼は都へ帰ってしまい俊寛だけが 島に取り残されてしまう。
17. ダンセイニ「旅宿の一夜」
   インドの神像よりルビーをかき取った英国人船員達が、3人のインド人僧侶に延々と追跡を受ける話。船員達は計略を巡らしてそのインド人僧を始末する。

 この年、団員である諫山の結婚式が4月22日に行われました。知之は、このお目出度い席で次の2本の新作を披露しています。
18. ダンセイニ「置き忘れた帽子」
19. チェーホフ「犬」

 知之は6月13日から17日まで上京し「築地小劇場」で観劇をしています。当時の状況(関東大震災から10ヶ月)で山春村から東京まで観劇のために出かけるだけで奇跡的ですが、更に凄いのは知之が自分の演劇を更に良くするために「築地小劇場」から舞台装置や演出方法などを学びとっていることです。帰郷後、知之は自邸内に室内劇場を創設し自分の理想とする演劇的空間を作り出すことに更に熱中することになりました。

第9回試演会(7月12日)
20. 山本有三「海彦山彦」
21. ストンドベルグ「犠牲」
22. グレゴリー「月の出」

田主丸劇研究会(8月27日)
 これは第1部が講演・第2部が演劇という構成の研究会です。この第2部において、知之はダンセイニ「光の門」を再演するとともに次の作品を初披露しています。
23. 山本有三「生命の冠」

第10回試演会(8月31日)
24. ビンスキー「小英雄」

第11回試演会(11月6日) ダンセイニ「旅宿の一夜」を再演するとともに
25 菊池寛「浦の苫屋」 

 この頃、知之は室内劇場に照明装置を取り付けました。よりよい演出効果を得るため試行錯誤を続ける知之の姿が目に浮かびます。

第12回試演会(12月27日)
26. 菊池寛「丸橋忠弥」
27. ダンヌンチオ・小山内薫「春曙夢」

 大正14年には7回の試演会が行われ、16本の新作が披露されました。8月から10月にかけて外部公演をこなし、さらに10月には西見台にギリシャ式円形劇場もつくっています。「嫩葉会年鑑」大正14年版は(知之による手書きと異なり)嫩葉会文藝部の作成に掛かる活版印刷となっています。久留米市加治屋町の秋松活版所によるものです。

第13回試演会(2月21日)
28. 山本行雄「罰」
29. 武者小実篤「だるま」
30. ストンドベルグ「1人舞台」
31. 山本有三「同志の人々」

第14回試演会(4月25日)
32. 武者小路実篤「若者の夢」
33. 菊池寛「順番」
34. 北尾亀雄「宝玉」

第15回試演会(5月16日) 「仇討以上」「春曙夢」を再演
第16回試演会(5月23日) 「罪」「どん底の二人」「同志の人々」「春曙夢」の再演
35. スートロ「どん底の2人」

第17回試演会(7月18日)
36. アービン「オレンジ党員」
37. 山本有三「嬰児殺し」
38. メーテルリンク「タンタジイルの死」

 大正14年の8月から10月にかけて、知之は積極的な活動に踏み出しています。久留米恵比寿座公演(8月8日)。父兄懇親会(8月14日)。柳川フィルハーモニーとの共演(8月24日)。写真を「医師の劇団1」に掲載しているので参照。)この流れの中で10月に知之は地域住民の協力を経て西見台の斜面に野外劇場(ギリシャ式円形劇場)を創設しています。大正時代にこのような「民衆のための劇場」を創設するなど全国的にも例がありません。

第18回試演会(11月3日) 「屋上の狂人」「月の出」を再演
39. 菊池寛「時勢は移る」

 知之は「嫩葉会戯曲集」も作成していました。知之の5本と三善仙市(安本医院の車夫)による1本の戯曲が収められています。表紙は野外劇場の建設状況です。
 

 余命の短さを感じ取っていた知之は自分が書いた戯曲も上演するようになります。井上理恵先生は知之が創作した戯曲内容を次のように高く評価されています。「大正期の戯曲、特に菊池寛・武者小路実篤・山本有三のそれを数多く上演した安元は彼らの世界から得た劇術を自らの内に取り込み、巧みに生かした。彼の作品は数多く舞台を演出したものの戯曲であることが判る。」(「近代演劇の扉を開ける」216頁)。以下に続くのは知之の戯曲を含めた試演会です。

第19回試演会(12月26日)
40. 山本有三「海彦山彦」
41. シング「海へ騎り行く人々」
42. 小山内薫「息子」
43. 安元知之「父を恋ふ」
   この地方に多い出稼ぎ者の留守家庭を扱った作品。アメリカに行ったまま帰らず便りの無い父を慕う息子が見しらぬ旅の物乞いの男を父だと思う心の動揺を描く。菊池寛「父帰る」の山春村バージョンとも言える(@井上理恵)。
     

 大正15年には2回の試演会が行われただけです。知之の体調が悪くなったからです。自作の戯曲3本を含む7本の新作を上演しているのが知之の最後の命の輝きでした。
第20回試演会(2月25日)
44. チェーホフ「煙草の害について」
45. ダンセイニ「金文字の宣告」
46. 菊池寛「真似」
47. 安元知之「烏山の頭陀」
   浮羽地方に伝わる烏山の伝説に素材を得た作品。筑後小郡の城主・弾正が豊後の大友を訪問した帰路で鳥を射る。その夜、美しい女が現れ「何故夫を殺したのか」と言って去る。好色な大友が弾正の妻に手をかけようとするも妻はこれを拒んだために殺されたのだ。しかも大友は仕返しに「弾正謀反」との流言を放つ。弾正は武士であることが嫌になり出家する。

第21回試演会(5月18日)
  これが最後の試演会です。知之は病床にありました。
48. 近藤純一「裸の王様」
49. 安元知之「青年会議所の一夜」
   集会所に集まる村の青年の一夜の出来事を劇化したスケッチ風の作品。うきは地方の方言で書かれている。そのため観客に大受けしたという。
50. 安元知之「尼御前宮の由来」
   筑前朝倉に伝わる伝説に取材した1幕2場の大作。

 知之の体調は大正15年後半から急速に悪化し演劇の上演が出来なくなりました。嫩葉会の仲間達に囲まれながら病床についている知之の姿は正岡子規や夏目漱石を想起させます。
 約3年にわたり合計50本もの近代演劇を上演した嫩葉会ですが、主宰者安元知之が昭和2年1月19日亡くなったため(享年37歳)同年3月に活動を中止することとなりました。

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