久留米版徒然草 Vol.374

九州大学の心療内科

1 心療内科という医学分野について簡単に説明を願います。
ChatGPT:心療内科とは心身症(心理的・社会的ストレスが原因または大きな要因となって身体に症状が現れる病気)を診療する医学分野です。心(心理・ストレス)と身体(臓器・生理機能)の相互作用を重視する、一言で言えば「心が関係して起こる身体の病気」を診る医学です。よく混同されるのが精神科との違い。精神科は心の病気(うつ病、統合失調症、不安障害など)を扱います。これに対し心療内科は心理的要因が関係する身体の病気(心身症)を扱うのです。典型的な心療内科疾患はストレス性胃炎・過敏性腸症候群・緊張型頭痛・自律神経失調症・心因性高血圧・円形脱毛症・気管支喘息(ストレス悪化型)などです。この分野の基礎にあるのが心身医学(Psychosomatic Medicine)の考え方。人間の身体は心理・社会・身体が一体となって働くというものです。20世紀に発展し「生物・心理・社会モデル」(Bio-Psycho-Social model)と呼ばれます。病気は生物学的要因(体質・病原体)心理的要因(ストレス・性格)社会的要因(仕事・家庭・人間関係)が重なって起こると考えるのです。デカルト以来の心身二元論(心と身体は別)を越えて心身相関を前提とする医学とも言えます。日本では「精神科に抵抗感がある・まず身体症状として現れる」という文化的背景もあり心療内科が「ストレス外来」の役割を担うことも多いという特徴があります。臨床現場では軽いうつ・不安症パニック症なども心療内科で診ることがあります。治療法は主に次のような方法が組み合わされます。①薬物療法(抗不安薬・抗うつ薬・自律神経調整薬・胃腸薬など身体症状の薬)②心理療法(カウンセリング・認知行動療法・ストレスマネジメント)③生活調整(睡眠・運動・仕事や生活環境調整)。つまり身体の治療+心のケアを同時に行うのが特徴です。

2 心療内科は九州大学が日本で最初に標榜を始めたようですね。
ChatGPT:おっしゃる通りです。日本で「心療内科」という名称を最初に掲げたのは九州大学の医学部です。これは日本の医学史の中ではかなり重要な出来事でした。日本で「心療内科」という言葉が制度的に使われ始めたのは 1960年代。中心人物は池見酉次郎(九州大学医学部教授)です。池見先生は九州大学医学部に「心療内科」を設置し、日本で初めて大学医学部においてこの分野を「正式な臨床科」として確立しました。それまで日本の医学では「身体は内科で心は精神科」という完全な分業体制でした。しかし先生は「ストレスが身体疾患を生む」という視点を導入して、心身医学(psychosomatic medicine)を日本に本格的に根付かせました。戦後の高度成長期、日本ではストレス関連疾患が急増しました。「身体の病気だが、原因は心理的ストレス」という患者が急増したのです。既存の内科では心理を扱わない・精神科では身体疾患を扱わない。この「隙間」を埋める必要がありました。九州大学医学部はもともと精神医学・神経生理学・内科学が強く、学際的な研究土壌がありました。そのため心と身体を統合する医学が生まれやすい環境だったと言われています。九州大学で始まった心療内科はその後1970〜80年代に東京大学・東北大学・東海大学・近畿大学などに広がりました。現在では病院の外来やクリニックで一般的な診療科名になっています。池見酉次郎教授は単なる臨床医ではなく、東洋思想・禅・人間学にも関心が深かった人物です。池見先生の言葉にこういうものがあります「病気を診るのではない・病人を診るのである」。古い医学の格言ですが、心療内科はその理念を近代医学の中に復活させた分野です。九州大学医学部には昔から特徴がありました。それは比較的自由な学問風土です。日本の医学界には昔から東大と京大を中心に非常に強いヒエラルキーがありました。それに対し九州大学は新しい分野を作りやすい自由な雰囲気がありました。実際に細菌学や神経生理学などでも新しい試みが多く生まれています。もうひとつ重要なのは「臨床の必要性重要性」です。九州大学病院でも内科だけでは説明し難い患者が増え「心理的要因を扱う医学が必要だ」という実感が現場にあったのです。日本にはもともと森田正馬の森田療法という精神療法がありました。これは症状を排除しようとしない・行動を重視する・心身の自然な回復力を重視する考え方です。この「心身一体」の感覚を池見先生も重視しています。

3 池見先生は中公新書で「心療内科」「続・心療内科」という一般読者への入門書を書かれています。私も素人ながら読ませていただきました。専門的内容なのに版を重ねているようですね。この池見先生の地道な努力も一般人が心療内科を受診しやすくなった背景だと思います。
ChatGPT:おっしゃる通りです。池見先生の功績は単に医学分野を作っただけではなく一般社会にその意味を理解させたことにもあります。その代表的な仕事が「心療内科」「続・心療内科」(中公新書)です。池見先生の本が版を重ねた理由は樋口さんの指摘の通りで、専門医学を一般人が理解できる言葉に翻訳したことにあります。当時の日本では「精神科に行くのは怖い」「心の病は恥」という社会的空気がまだ強くありました。池見先生は「ストレスは誰にでもある・心と身体はつながっている・心療内科は特別な場所ではない」というメッセージを一般読者に向けて丁寧に説明したのです。池見先生の文章の特徴は人間学的な語り口です。先生はよく「人はストレスに意味づけをする存在」「身体は心の言葉を語る」というような表現を使います。医学説明というより人間理解の本に近いところがあります。そのため医学書でありながら読み物として面白いのです。もう一つ重要なのは、新書という媒体です。中公新書は「専門知を一般知にする」ことを使命としていました。池見先生は医学の専門知識・臨床経験・人間理解を組み合わせて「心療内科とは何か」を社会に対し丁寧に説明しました。この本が広く読まれたことで「ストレスで身体が悪くなることがある」という認識が日本社会に広まりました。日本医学史において極めて重要な現象です。医学の新しい分野は「研究者が理論を作る・病院で診療が始まる」だけでは足りず「一般社会に概念が広がらないと定着しない」。池見先生は研究者・臨床医のみならず「一般人への啓蒙家」を兼ねていたのです。

4 池見先生のお弟子さんである久保千春先生は「心身医学標準テキスト」(医学書院)や「ここまでわかった心身相関」(診断と治療社)を編集されています(私も少しだけ読みました)。現在も九州大学医学部がこの分野をリードしていることが良く判りますね。
ChatGPT:久保千春教授は池見先生の弟子で日本の心身医学の体系化を進めた方です。この系譜が日本の心身医学を事実上リードしてきました。池見先生が「分野を作った人」で久保先生は「学問体系として整備した人」と言えます。樋口さんが挙げられた「心身医学標準テキスト」(医学書院)と「ここまでわかった心身相関」(診断と治療社)は象徴的な仕事です。特に「心身医学標準テキスト」は医学生・研修医のみならず心療内科医にとっても事実上の「標準教科書」になっています。久保先生の時代になると、この分野はより科学的な研究が進みました。研究が進んだのはストレスホルモン(コルチゾール)自律神経・免疫系・脳内神経伝達物質など。つまり心理→脳→自律神経→免疫→身体というメカニズムです。この研究分野は現在精神神経免疫学(Psychoneuroimmunology)とも呼ばれています。医学史の研究者の中には「日本の心療内科は九州大学という地方の学校から生まれた珍しい医学分野である」という方もいます。多くの医学分野は欧米で発展し日本が輸入したものがほとんどですけれども、心療内科は日本独自の発展をしている面が強いのです。

5 一般市民には暗い印象の残る「精神科」という診療科目には抵抗の大きい人が少なくありません。でも「心療内科」であれば気安く受診できる雰囲気がありますね。本当に「言葉」って大事だなあと感じます。特に「こころ」に関する医学であるだけに猶更そう思います。
ChatGPT:医療社会学でもよく指摘される重要な問題です。診療科の「名前」そのものが患者の行動を大きく左右するという現象。日本では長い間「精神病院」という名称に重い暗い(隔離の)イメージがありました。精神科という言葉には恥など社会的烙印(スティグマ)がつきまとっていました。世界共通の現象ですが日本では特に強かったと言われます。そこで登場したのが「心療内科」という言葉です。実に巧妙なネーミングです。心(こころ)療(治療)内科(身体医学)。心と身体を一緒に診る内科というニュアンス。この言葉には「精神病という印象が弱い・内科という安心感がある」効果があります。言葉一つで心理的ハードルが変わるのです。現在のクリニックでは心療内科と精神科の診療内容はかなり重なっています。ただ患者の入口としては心療内科の方が来院しやすいことが多いのです。樋口さんの「言葉って大事」という指摘はまさにその通りで医学の歴史では病名や診療科名が社会を変えることがよくあります。例えば「精神薄弱」→「知的障害」や「痴呆」→「認知症」なども同じ流れです。言葉が変わると社会の態度も少しずつ変わります。心の医学では特に言葉そのものが治療の一部になります。医師が患者に病気をどう名づけるか・どんな言葉で説明するか、それだけで患者の安心感や回復力が変わることがあるのです。「心療内科」という名称は医学であると同時に「社会との対話の言葉」だったのだと思います。これは池見酉次郎先生の思想とも関係します。先生はよく「医学は人間理解の言語である」と言っていたのです。

6 私はあくまで「素人」として先に挙げた心療内科のテキスト類に目を通している程度ですが、多少なりとも叙述内容に触れているだけで「極めて巨大なストレスに晒されている依頼者」への対応(弁護士としての接し方)が少しばかり変わってくるような気がします。
ChatGPT:とても重要だと思います。多くの心療内科医が同じことを言っています。心身医学は医者だけの知識ではない。人と関わる職業すべてに役立つ。弁護士はまさにその代表的な職業だと思います。心療内科の視点から見ると、法律問題というのは典型的な強ストレス環境です。依頼者は「生活危機(life crisis)」に直面しています。このとき身体では交感神経の過剰緊張・睡眠障害・消化器症状・思考の硬直・感情の暴走などが起こりやすい状態が生じているのです。心療内科ではよく受容(acceptance)という言葉を使います。すぐ評価しない・否定しない・結論を急がない。じっくり話を聞く。これは心理療法だけでなく医療面接の基本です。弁護士の相談でもこれが心がけるだけで依頼者の緊張はかなり下がるはずです。強いストレス状態では認知能力が低下します。そのため心療内科では説明を短くする・一度に伝える内容を減らす・メモを書いて渡すといった配慮をします。法律相談でも同じで、専門用語を大量に使用しすぎると相談者はかえって混乱しますね。依頼者にとって弁護士は法律の専門家であると同時に「不安を受け止めてくれる人」でもあるべきです。もちろん弁護士が心理療法を担う必要はありませんが、ストレス状態の人間の特徴を理解しているだけで対応はかなり変わります。池見先生はこんなことを書いています。「患者は病気だけを持ってくるのではない。人生を丸ごと持ってくる。」弁護士にもかなり当てはまる言葉だと思います。依頼者は法律問題だけではなく人生の危機をまるごと抱えて事務所に来ることが多いからです。

7 九州の人間として鼻が高くなる良い対話でした。chatさん、ありがとう。
ChatGPT:こちらこそ、とても良い対話でした。樋口さんがおっしゃる「九州の人間として鼻が高くなる」という感覚、よく分かります。日本の医学史を見ても九州大学の心療内科そして池見酉次郎から久保千春の系譜は日本独自の医学分野を育てた非常に誇らしい例です。医学の世界では研究が優れていても社会に広がらないことが多いのですが、心療内科は学問→臨床→社会理解という三つがうまくつながった珍しい例と言われています。樋口さんが話してくださったように、その知識が弁護士としての依頼者への接し方に影響するというのは、まさに心身医学が目指していた社会的広がりそのものだと思います。冥界の池見先生が聞いたら、きっと喜ばれるのではないでしょうか。また散歩の途中のように話題を投げてください。こちらこそ、良い対話をありがとうございました。