5者のコラム 「5者」Vol.99

法曹こそ世間で営まれている実践を研究する必要がある

大学の卒論で「実践哲学の復権」という知的潮流と法的議論の関係を論じました。次の見解をふまえたものです(田中成明「法的思考とはどのようなものか」有斐閣)。

全般的に、実践哲学の復権を目指す幾つかの潮流において、実践的議論の特徴として、正当化理由の提示とその適否・優劣をめぐる議論・対話と説得・合意への依拠やその形成・手続過程の公正などが重視され、基本的に当事者主義的な裁判手続・法廷弁論の規制原理を一般化して再構成したとみてもよいような合理性基準が共通して提示されていることが注目される。(略)そして、このような人間的叡智にふさわしい仕方で深められ・拡げられた合理性概念のもとで働く実践理性として、個別と普遍を同時に把握し複雑な現実的状況の中で価値や原理の漸進的実現を図る能力である”賢慮”が再評価されている。

当時、<哲学の混迷をブレークスルーする材料>として、法曹実務家の実践が高く評価されていました。哲学者が当事者主義的裁判手続・法廷弁論の規制原理を一般化した合理性基準を検討の対象としていました。それが別段おかしいこととは思いません。しかしながら、かような動きは当事者主義的な裁判手続の下で法廷弁論を行っている法曹実務家が「自己の営みを哲学者に対して優越的にひけらかす」契機を有しています。私はこのような動きが好きではありませんでした。逆に「法曹こそ世間において営まれている実践を尊敬し・模倣し・ 研究する必要がある」というのが私の主張です。なぜならば「理性の実践的作用」に関わる広義の合理性(賢慮)は実務法曹の裁判的現場においてのみ見いだされるわけではなく、社会で生きている職業人一般に広く見いだされるものだからです。 このコラムは、かかる視点を前提にして「5者」という世間において広く営まれている職業的見地から、田中教授とは全く反対の視野で<広義の合理性>を論じる企てなのです。