5者のコラム 「芸者」Vol.95

気持ちを損なうこと無く会話から対話へ

中島隆信「家族はなぜうまくいかないのか」(祥伝社新書)の記述。

2007年4月21日付「日本経済新聞」に「夫に言われて傷ついた一言」という特集記事が掲載されました。その第9位に「で、結論はなに?」という一言がランクインしています。記事によると「男性は報告や結論を求めて話すが、女性は過程に重きを置くので結論はなくても良いことが多い」ことがその一言の原因と書かれていました。この説明をさらに掘り下げると、先の物語文と論説文の違いに行き着くと思います。話し手が男性か女性かはさておき、基本的に物語文に結論はありません。その理由は明らかです。なぜなら結論を聞き手に伝えることが目的ではないからです。物語文では話し手は聞き手に相手に自分と同じ気持ちになって話に共感して欲しいと願っているのです。別に結論を相手に伝えその論理をめぐって聞き手とディスカッションしたいというわけではありません。

若手弁護士が依頼者と話をするときに注意すべきは目的実現に向けた対話ばかりになってしまうこと。たしかに弁護士は依頼者と雑談をするために時間を割いているわけではありません。要件事実の有無を確かめるための対話を重視するのは当然です。しかし依頼者の多くは論説文の世界に慣れていません。依頼者が親しんでいるのは会話。共感を得るための物語文の消費です。結論は重視されずプロセスにおける感情の共有が求められていることを忘れてはなりません。もちろん弁護士は目的合理性の世界に生きています。気持ちの共有を重視するとはいえ最終的には要件事実の有無を確かめるための論説的対話に移らざるを得ません。いかにして依頼者の気持ちを損なうこと無く会話から対話へ導くことが出来るのか?ここに弁護士の存在意義が問われているのでしょう。