5者のコラム 「5者」Vol.96

それでも、なれなかった人よりは良いのか

プロ棋士大平武弘さんがブログで呟いています。

テレビのハードディスクを整理していて気になっていた番組をまた見ました。「怒り新党」という番組。描いていた夢と違う形で仕事するその人は幸せか?そんな感じの話。たとえば棋士を志した少年の多数は名人やタイトルホルダーになりたい。そう思っていたはずで、自分もきっとそうだったはず。そんな人が例えば棋士になれたとしてタイトルにも絡めずにいる。それは幸せなのか?それでも棋士になれなかった人よりは良いのか?そんな話でした。こういう話はしないですし、他の人に聞けないので、みんなどう思っているのか気になりました。幸せは人の心が決めるという言葉があるように人それぞれなのでしょうが、自分は良かったとは思えない。今までの経験からするとこういう事を考え出した時はマイナスのときで、早く改善しないと。また見てマイナスにならないように、番組はディスクから消しておきます。

昔、私が弁護士を志したとき、現在ある姿とは全く別のあり方をイメージしていたはずです。そのイメージの具体的な中身を鮮明に描けなくなった今「名人やタイトルホルダー」という具体的な目標を描ける職業でないことが、かえって好都合であるのが悲しいところ。何故なら理想の法律家像は決して単一のものではなく100人いれば100とおりに描けるような性質のものなので「弁護士になれても、タイトルにも絡めずにいる。それは幸せなのか?」というシビアな質問に悩まされることがないからです。「それでも弁護士になれなかった人よりは良いのか?」という暗い自問に苦しめられることもありません。しかし「弁護士を志し・なれなかった人」がいることを意識し、その人に対し恥ずかしくない仕事をしなければならないと思う程度の志は今も有しているつもりです。