5者のコラム 「役者」Vol.54

本番前の緊張

担当した司法修習生から「証人尋問の前は緊張するのですか?」と問われたことがあります。私は「そりゃしますよ。大きな事件で重要証人の尋問をするときなど数日前から寝付きが悪くなり夜中に布団から飛び起きて尋問メモを書き直したこともあります。」と答えました。修習生は意外だったようです。平気な顔で尋問をやっているように見えていたのでしょうね。
 つかこうへい氏はこう述べています(「あなたも女優になろう」光文社新書)。

よく「私はどんな大きな舞台に立っても絶対アガッたためしがない」などと、それを役者根性と思い違えてわけのわからないことを自慢している女優さんがいますが、そんなのはただ神経が鈍感で自分が見えていないだけで肝がすわっているというわけではありません。本当によい俳優は自分の力の限界をよく知っていて、お客さんの目の怖さも判り本番前にはちゃんとアガれるだけの謙虚さとナイーブな神経を備えていなければなりません。図太さでお客さんを2時間引き寄せていくことは不可能です。感じやすい神経が、アガッた状態の中で何かに取り憑かれたように一線を超えるとき初めてお客さんの目を釘付けに出来るだけの狂気の輝きを身にまとうことが出来るのです。また、それだけの繊細な感性を備えた女優さんでなければ心の底から感動できる芝居なんか作れっこないというものなのです。

尋問前は弁護士も緊張します。特に尋問の出来不出来で結論が変わってしまう微妙な事件の場合、弁護士は準備に細心の注意を払います。もし「尋問で絶対アガッたためしがない」と、それを優秀の証と勘違いして自慢する弁護士がいるなら神経が鈍感で自分が見えていないだけです。良い弁護士は自分の力の限界をよく知っていて裁判官や証人の怖さを意識する謙虚さとナイーブな神経を備えています。アガッた状態の中で何かに取り憑かれたかの如く一線を超えるときに弁護士の尋問は裁判官の心証形成を左右する劇的効果を生むことになるのです(めったに無いけど)。

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