5者のコラム 「医者」Vol.114

医師に対する反対尋問

昨日は医師に対する反対尋問。反対尋問は喧嘩しても意味が無い。問いに対し「ノー」と言われても裁判官は心証が取れないのだ。敵性証人から「イエス」と言ってもらえる適切な問いをすることが出来るか否かがポイント。医師は医学について真摯な姿勢を示す。医学的に正しい前提の質問をすれば「イエス」と言ってくれる。初歩的医学知識を整理して適切な質問を並べることに集中する。争いの無い前提事実をふまえて当方主張をふまえた質問に移行する。結論として「当方主張の可能性も否定できない」という言明を引き出せたので良しとする。(FBへの投稿)
 世間人の一部には反対尋問の意味を勘違いしている人がいます。テレビの三流ドラマを見過ぎて派手な法廷シーンを期待している人がいるのです。豪腕弁護士が悪役証人の矛盾を徹底的に追求し、証人が泣き崩れ「私は嘘をついていました」と謝るという構図。傍聴席にいた隠し球の人間が勝手に柵の中に入ってきて「私のことを覚えていますか?」と証人を問い詰める構図。演説のような弁護士の尋問に証人が聞き入るという構図。実際の訴訟ではあり得ないことばかりです。反対尋問は、敵性証人に「イエス」と言わせる、少なくとも「ノー」とは言えない正しい問いを続けることが出来るか否かが肝要です。糾弾的な質問を並べて証人から「ノー」と言われるばかりでは裁判官は心証形成できません。反対尋問は、敵性証人も肯定できる正しい問いを並べることに集中すべきです。正確な前提の問いにより明確になる事実をふまえて当方主張をふまえた質問に移行します。敵性証人から「当方主張の可能性も否定できない」という言明を引き出せれば御の字なのです。反対尋問は裁判官の心証形成に向けた手段的な存在に過ぎません。目的と手段の取り違えは無意味です。

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