5者のコラム 「芸者」Vol.121

オシャレをする・人生を投げてない

藤野美奈子・西研「不美人論」(径書房)に以下の記述があります。258頁

F オシャレをすることは自分を社会に開いてゆく側面もありますよね。N 人生を投げてないってことだよね。F そうですよね。オシャレには他人に見せるためのオシャレと自分のためのオシャレとふたつある。よく女の人が「自分のためにオシャレしてる」って言うと「そんなの嘘だっ」ていう男の人がいるけど嘘じゃないよね。老人ホームとかでも美容院出張サービスとかやるじゃないですか。そうすると、みんな凄く生き生きしてくるんでしょ?オシャレをすることによって元気になる、という良い例ですよね。N やっぱりオシャレを放棄しちゃうっていうのは、どこかで人生を投げている、ということと繋がってるんだよね。オシャレは「みすぼらしくて何にも出来なくて役立たず」という自分のイメージを変える。そして自己イメージがよくなると他人とも関われる。

弁護士業務における「オシャレ」感覚は理想。全ての弁護士は出発時点で高い理想を抱いていたはずです。理想は他人に見せるための理想と自分のための理想と2つがあります。が、仕事をしていく中で理想は2つとも酷く傷つけられます。日弁連の会誌で懲戒処分を受けている弁護士の行為内容を読むと「この人は弁護士人生を投げてたんだ」と思わされます。私たちは「みすぼらしくて何にも出来なくて役立たず」という自己イメージを突きつけられることがありますが、これを払拭するために、たまには各自「美容院」のような処(良い自己イメージを回復できる場所)に行くべきです。理想を維持するためには結構エネルギーを必要としますが、理想を放棄することは弁護士人生を投げることに繋がります。弁護士こそ「オシャレ」になって自分を社会に開いてゆきましょう。

易者

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