5者のコラム 「役者」Vol.47

まさに弁護士こそは偽善者である

佐藤忠男氏はこう述べています(「見ることと見られること」岩波現代文庫)。

人間を、より良い存在でありたい自分と本当の自分と、というふうに2つの存在の矛盾で成り立っているものとして考えるとき、これを演劇になぞえることが便利な方法になる。なぜなら演劇では本当は平凡な人間に過ぎない俳優が役の上では非凡な人間に扮するのが普通だからである。それは観客も承知の上のことだから、だれもそれをウソとして非難はしないが、まさに俳優こそは偽善者であると言わなければならない。俳優は本当の自分が平凡な人間であることを百も承知で、観客の要望のままに非凡な人物のふりをするのである。

私は役者16において概ねこう述べました。「先生と呼ばれる商売を行っている人も普通の人だ。多くの『先生』は、役割に対し何らかの違和感を感じながらも、職業的場面に立たされるたびに人格者を演じてきた。」弁護士は平凡な人間ですが舞台に立てば観客の視線が自然に集まってきます。平凡な人間も弁護士という役柄の上では非凡な人間を演じなければなりません。弁護士という役柄の中で非凡な人間を演じる時、そこに事実とは異なる何かが要請されます。演劇がフィクションであることを承知の上で人生の真実を表現するものであるように、弁護士は法廷で非凡な人物のふりをして裁判上の真実を追求します。初めて見る観客はそれをウソとして非難するかもしれませんが、慣れた観客なら、これを御承知のことでしょう。非難される筋合いはありません。弁護士は観客の要望のままに非凡な人間を演じます。私だって(プライベートな場面では気の小さい人間ですが)舞台の上では国家権力や大企業と戦うことが出来ます。舞台の上で「より良い存在でありたい自分」を演じることが出来るのです。まさに弁護士こそは偽善者である。 

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