久留米版徒然草 Vol.359

国語と数学

高校時代、理系組だったので国語が嫌いでした。「筆者は何を言いたいのでしょう?」なる問いに「そんなもの筆者以外の人間に判るか」という感想を抱く子供でした。受験で問われるのは作問者が聞きたいことだけであり筆者の真意ではない。今はその差異が判りますが18才の自分は判っていませんでした。大学では哲学を基礎に社会学系統の勉強をしましたが「職業」を意識した頃に司試受験を始めました。そこで判ったことは法律学が「国語」的な分野ではなく「数学」に近い分野だということです。私が違和感なく法律の仕事をできているのは幸運な偶然によるものです。ついでに言うと理科系なので日本史・世界史は全く勉強しませんでした。共通一次の社会は政経・倫社でしたが、この勉強で思想史に惹かれ、文転して哲学を学ぶことになるのだから人生良く判りません。
<以下、FB友との議論>
1 私も物理選択の理科系で、文系科目が非常に苦手でしたけど司法試験受かっているので、やはり法学は理系ジャンルなんだろうなと思います。
2 理科系の人が早期合格する傾向にあるのは、法律が、文章の形式を取っているけれども、実際はコンピュータプログラムのようなロジックであるからだと思うのです。だから、法律文書はすべて、文章ではなくプログラムである、と思うようにしています。
3 文系ながら数学に得点を依拠していた私は、法律をやり始めて直ぐにこれは自分に向いていると思いました。数学は「頭の筋トレ」だと思うので、文理問わず重要だと思います。
4 もともと数学は記号論理学です。
5 ↑はい。でも、裁いているのは機械ではなく生身の人間です。使うのは数学的な言語(論理)であるとしても実際に判断を決定しているのは国語的な言語(情感)なのかも。
6 そういえばフェルマーも裁判官でしたね。
7 ↑フェルマーは裁判官だったんですか?なるほど。「数学」が学問的に独立するのは最近です。デカルトも・ニュートンも・ライプニッツも「数学者」ではありませんでしたね。
8 高校生の時、国語の先生が泣いちゃったこと覚えてます。
9 ↑先生じゃなくて教生(教職課程の学生)だったね。僕が「そもそも何故にこんなバカな設問をするのか」と食って掛かったからね。今から考えると可哀そうなことしたな。
10 指摘よくわかります。司法試験は数学の得手不得手の差が出る試験だったと思います。
11 平野啓一郎氏(京都大学法学部卒)が『本の読み方』(PHP文庫)で全く同じことを書かれていました。高校時代に国語の点数が悪く納得できない中で気づいたのが「国語のテスト(の)作者とは誰だろうか?当然のことだが、問題制作者である。…そこで、ある時から私は、本文と設問とを一続きの文章として読むことにした。」すると成績が瞬く間に上昇したそうです。
12 ↑高校生時代に、こういう大事なことを教えてくれる優秀な国語教師に私は出会えなかったなあ。それを自力で見いだせた平野氏はやはり優秀なんですね。
13 ↑平野氏は、国語で悪い点をもらうので、腹を決めてテストの度に模範解答及び解説をスロー・リーディングすることにしたから気がついたのだそうです。
14 大学入試の現代国語は、やっぱり少し数学に似ていて、文章の論理構造を解析して、解答を出す作業ではありました。結構得意でしたね。
15 ↑国語を「数学に似ている」ととらえるとは凄い!私は理系的偏見の塊だったんですね。
16 Steve Jobsと同じだね。大学でcalligraphyに夢中になったことが、パソコンに初めて美しいフォントを導入したMacの開発に繋がった。何事も点が線に繋がる。Stay foolish! という話。

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