高松への出張
ちょっと高松まで鉄道旅です(私用ではなく仕事)。空いた時間に「歴史散歩」をしたいと思っています。「まち歩き」の友は(現代地図と)昭和3年の古地図。頭の中で西村幸夫「県都物語」有斐閣(№37高松:海に開いた城下町)を参照します。では行ってきま~す。

岡山駅でマリンライナーに乗り換えです。先頭車両の2階席に乗車。

瀬戸大橋(昭和63年開通:全長9・4km)は外部的視点では美しいのですが(列車が通るのは橋桁下部なので)乗っているだけでは美しさが判りません。(昔の宇高連絡船が良かったな:涙)

高松地裁高裁。旧城内にあります。高松地裁所長は同期の下津健司君です(熊本修習)。8/17付で高松家裁所長は西野吾一君とのこと(同クラス)。法曹の世間は狭い。
ちなみに今回の私の「仕事」は裁判業務ではありません(行政監査の関係)。
早朝の琴平電鉄「高松築港」駅。城に隣接する駅の風情が良いですね。始発電車で瓦町まで。


琴平電鉄瓦町駅を降りて「菊池寛通り」を西へ。名称は「菊池寛の生家」があったことに由来します。県庁北交差点から琴電瓦町駅前まで約0.7kmの長さ(1988年命名)。通りに沿って菊池寛の顕彰碑・文学碑・銅像などが設置されています。戦後の高松市街の軸線は南北に中央通りが形成されました。4メートルある分離帯には214本ものクスノキが植えられました。この中央通りと直交する東西の基幹道路として形成された広路第1号が菊池寛通りなのです。交点に中央公園があります。
右に折れて丸亀町のアーケード街を北に歩きます。右手に旧百十四銀行銀行「本店」があります。典型的な銀行建築様式です。今は高松「支店」に格下げですけど存在感は抜群です。
更に北に歩くと高松市街の中心を示すドームがあります。4方向にアーケードが連なります。
西に延びる兵庫町商店街と東に延びる片原町商店街の一部は「外堀」の跡です。両町とも外堀に面する「片側だけの町」だったのです(「片原」町は文字通りその意味です)。
昔、この地には常盤橋が架り、南側に「高札場」(札の辻)がありました。
ここから北は武家地で、南は商人の町です。城下町の街道は城を迂回するようにデザインするのが常道ですが、高松は城が港から上陸するネットワークの拠点なので城から遠ざかる丸亀町の通りが都市軸になっているところが特徴です。丸亀町の軸線は少し北北東に傾いています(この地の条里の方位と一致)。高松城下町は「古代の基盤」の上に造られているのです(@西村幸夫)。
朝食は某花田先生オススメの「めりけんや」高松駅前店。午前7時の開店前から長蛇の列。
冷ぶっかけ(小)にウズラとナスの天ぷら。讃岐うどんらしいコシの強い麺。さすが。

少しデッキを歩いて港へ。船を見るとワクワクします。後方に映るのは屋島。源平合戦の舞台。
この船は小豆島へ。旅愁をそそる(45年ほど前に「寒霞渓」を堪能しました)。
3代目高松駅はJRホテルクレメント高松が建つ地にありました。宇高連絡船が接岸する海陸交通の結節点でした。現在の4代目高松駅は再開発の土地を確保するため、そして市街地へのアクセスを良くするため東南に引っ込ませて形成されました。しかしその代償として港との連続性が絶たれました。宇高連絡船が亡くなったので仕方ないとはいえ、一抹の寂しさを感じます。
時間があったので「あなぶきアリーナ」を少し見学。あまりにも立派な造りに驚愕。
仕事を終えて帰路へ。高松駅は頭端駅ならではの良い風情がありますね。
帰路も快速マリンライナー(岡山行)。最後尾車両の2階席です。


予習をした甲斐があり、印象に残る旅でした。日日是好日。(2026/8/20~21)

