5者のコラム 「医者」Vol.145

真実と和解の関係

 河合隼雄「こころの処方箋」(新潮文庫)の記述。

一般の人は「人の心が直ぐ判る」と思っておられるが、人の心がいかに判らないかということを「確信を持って」知っているところが専門家の特徴であるなどと言ったりする。私は新しく相談に来られた方に会う前に「人の心など判るはずはない」ということを心の中で呪文のように唱えることにしている。それによってカウンセラーが他人の心が判ったような気になってしまいよく犯す失敗から逃れることができるのである。

この記述は医療関係者だけではなく広く対人関係の専門職に銘記されるべき「規範」であると私は感じています。法律業界に置き換えれば次のように表現できます。一般の人は気軽に正義とか真実とか口にします。当事者が自分の立場から見た正義や真実を語るのは自由です。第3者が(野次馬的に)正義や真実を語るのも(節度をもって行われる限り)自由なのでありましょう。しかしながら、紛争解決の「専門家」として事件に接する実務法曹は簡単に正義とか真実とか口に出来ません。何故ならば社会的な出来事は(重大なものであればあるほど)立場によって見え方が異なってくるものであり、そのことを経験豊富な法曹こそ身にしみて判っているものだからです。正義や真実というものがいかに不確かで判りにくいものであるかを「確信を持って」断言するところが実務法曹の特徴です。私も、27年以上に及ぶ弁護士経験の中で、未だに「何が真実であったのか?」判らない事件がたくさんありました。けれども仕事としては終わっています。何故なら法曹としては(真実が何だったのかはさておき)当事者が「これで良い」と言ってくれさえすれば民事紛争は和解で終了するものだからです。それ以上の真実を見極める必要がありません。心底から「真実は何かなど他人に判るはずがない」と考えている実務法曹にとって和解とは有り難い制度ですね。