5者のコラム 「役者」Vol.109

狂言回しとしての弁護士

最初の頃の「真田丸」で長澤まさみ演じる「きり」という人物の存在意義が判らなかった。1人だけ口調が軽くてミスキャストではないかとも思った。ある程度物語が進行して初めて「きり」が狂言回し(観客に物語を理解させるために登場する者・脚本家の視点を代弁する)なのだと理解できた。最新の「幸村」の回における「きり」の鋭い台詞は史実ではない。しかし、これを脚本家の視点(脚本家が認識した真田信繁の心的事実)だととらえれば見事にその役割が浮かび上がる。脚本家は今回の台詞を言わせるためにこそ物語の最初から「きり」を登場させていたのだ、ともいえる(FB)。舞台用語の「狂言回し」は物語の進行役で、背景を説明したり・性格を描写したり・謎をかけたりする役回りです。主人公ではないにもかかわらず、脚本家から他の配役とは明らかに異なった性格を持たされています。狂言回しは主人公を「喰う」場合があります。それは狂言回しが脚本家の視点を代弁する特異な役割を担っているからこそ生じる現象です。
 弁護士は「狂言回し」的役割を担っています。誰の視点を代弁しているのでしょう?弁護士は依頼者の代理人ですから依頼者の視点を代弁するのは当然です。しかし100%ではありません。私の感覚では依頼者は85%です。客観的・中立的な立場である裁判所が10%です。この視点を持たない弁護士は法律家と言えません。法律家には「依頼者から離れた視点」を持つことが求められるからです。最後の5%が相手方です。弁護士は時に逆の立場からの視点を持つことも求められます。この役柄を演じるのは難しく相当の経験を要します(演じ方を間違うと解任される)。以上の役回りを過不足なく演じることが出来る「狂言回し」こそ良い弁護士なんでしょうね。

易者

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