5者のコラム 「易者」Vol.59

物語の必要性とその意味

鈴木淳史「占いの力」(洋泉社新書y)に以下の記述があります。

物語なしで生きるのは不可能に近いのだ。ある意味動物的に生きろということだからだ。ヘタに物語なしで生きてしまうと「今がよけりゃこれで良いんだろ・どうせ明日はないんだし」みたいなニヒリズムに陥ってしまう。ニヒリズムとは本当は物語が欲しいくせに何だか手頃な物語が無くて飢えている状態である。(略)全ての人間は物語を生きる。(略)しかし自分が物語を生きているということの自覚はそれほど高くない。まず、それを徹底的に問い詰めてやるのがいい。それは簡単なことではないが他人の強烈な物語に接したり、占いを鏡にして、そこに写った自分の姿をひたすら凝視しまくることによって浮かび上がってくるかもしれない。その物語が好きで心地よければそれを歩むが良し。居心地が悪ければ「しょせん物語じゃん、こんなの」と生ゴミといっしょに出しちまえばいい(214頁)。

刑事事件や少年事件をやっていると「今がよけりゃこれで良いんだろ・明日はないんだし」というニヒリズムに陥っている人にたまに逢います。そういう人には人生を生き抜いていく物語が欠乏しています。飢えているくせに「自分には物語など必要ない」と強がる人もいますが、そういう人を徹底的に問い詰めることはしません。何らかの物語を提供し、それを鏡にしてそこに写った自分の姿を凝視してもらうだけです。提供する物語の多くは過去の自分の姿であったり、現在の家族の話であったり、未来の仕事のことであったりします。自分が観た映画の話をするときもあります。そういった物語に心地よさを感じる人もいれば居心地の悪さを感じる人もいます。それは本人が考えることです。弁護士が善し悪しを断定できる訳ではないし、すべきでもありません。弁護士に出来るのは何らかの「物語」を示すことだけです。動物的に生きるのではなく「人間として生きるために不可欠な物語」の必要性とその意味を判って貰うことだけなのです。

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