5者のコラム 「学者」Vol.102

体系的な読書・小説が読めなくなる職業病

目次の重要性に気づかされたのは司法試験の受験時である。全体構成を頭に入れて当該論点が全体の何処に位置づけられているのかを確認しないと法律の本は「読む」ことが出来ないということが判ったからだ。使う体系書の全てに目次を縮小コピーして外に貼り付けた。そのままでは破損しやすいのでフィルムルックスという透明カバーを貼った。実務家になった後も長い書面を書く際には最初に目次を付けるようにした。これは実務家の論文に多く採用されている手法であった。今では法律以外の分野の書籍も最初に目次を頭に入れるようにしているが、あまりに過ぎると「ちょっとビョーキだなあ」と感じたりもする。(FBへの書き込み)
 以下、FB友南谷敦子弁護士との会話。
M:私も本を読むときは初めに目次をみて面白そうなところだけピックアップします。仕事の癖なのか?最後の結論部分から読み始めたり。そういえば小説をまったく読まなくなりました。必要があって読むときは目次を見て超飛ばし読みして結末だけをゆっくり読み、ストーリーを振り返り、読んだ気になる。職業病?H:そうそう。法律家的読書が日常化すると小説が読めなくなってくるんですよね。小説って作者の構築する世界に溶け込んでゆくところに肝があると思うのですが、自分の頭の中の核が堅すぎて、なかなか溶け込めなくなってしまうのですよ。M;先生もでしたか。所詮、主人公は壁にぶつかり、乗り越え、あるいは越えられず結末へと筋しか読まなくなる。過程を楽しめない、余裕のない人間になってしまいました。家族には白眼視されること多し。
 法律家は「体系的」な本の読み方を叩き込まれているので過程を楽しむ「叙情的」な読書が出来なくなる傾向があるようです。みんな職業病なんでしょうか(笑)。

医者

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