5者のコラム 「学者」Vol.8

今村仁司先生の思い出

私が学生時代に敬愛した哲学者は今村仁司先生です。大学3年生の時に今村先生が社会思想史特問という講座を一橋で受け持ってくださりました。講義終了後に追いかけ食堂前のベンチで30分程話し込みました。学者になりたい私はそのことを表明しましたが、先生は微笑んだまま肯定も否定もされませんでした。先生は哲学でメシを食う難儀さを身にしみて判っていましたし、他方で学生の夢を安易につぶす野暮な方でもなかったのです。それを契機に私は東京経済大学の先生のゼミに潜り込み議論にも加わりました。不思議な時間を生きていました。社会から逃避気味だった私が社会に復帰し得た背景には今村先生の著作を通じての教示がありました(「理性と権力」けい草書房)。

理論理性は人間の生活の中でもごく限定された領域に属するが、これ以外の領域全体は広義の実践世界であり、この実践世界と一体となった精神活動は古来様々なる名称を持つとはいえ要するに民衆的(ポップ的)理性である。ポップ的理性は荒れ狂う大海や砂嵐が逆巻く砂漠にたとえられる実践的生活世界が有無をいわさず押しつけてくる際限のない課題にその都度・即席的に回答を与えることを自己の仕事とする。現実の人間生活は海図無き航海者の旅のごときもので、その都度の臨機応変の対応のみが全てを決する。新しい状況が不断に突きつける新しい問いや課題に対し「その都度性」の回答、決して正確でも厳密でもある必要はないが、「ほぼ」「およそ」「大体」「まあまあ」の処方箋対応策または回答が示せれば十分である。

今村先生の薫陶を得て20年以上たち私は法曹実務家として海図無き航海者の旅のようなものを日々送っています。今頃になって先生から教えられた事の意味が少し判ってくるようになりました。先生は2007年5月5日に亡くなられました。享年65歳。感謝とともに合掌。

5者

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