5者のコラム 「医者」Vol.60

インスリン新発見物語り

矢沢サイエンスオフィス「薬は体に何をするか」(技術評論社)に以下の記述があります。
 

この年、トロント大学で医学を修めたバンディングはトロント近郊の町ロンドンで整形外科医院を開業しました。しかし医院はさっぱり流行らずフィアンセも愛想を尽かし彼のもとを去るありさまでした。やむなくバンディングは生活のため地元の大学の助手兼講師の職を得て、学生相手に糖尿病学の講座を受け持ちます。(略)バンディングはこう考えました。糖尿病を防止する物質はランゲルハンス島から出ているに違いない。しかし、その物質が検出されないということは脾臓が作り出す消化酵素がその物質を分解しているからであろう、と。そこで彼はトロント大学で炭水化物代謝研究の権威ジェームズ・マクラウドに依頼し、ランゲルハンス島抽出というそれまで誰も成功したことのない実験の許可を得ようとします。マクラウドは一介の開業医の依頼を相手にしなかったものの、その熱心さに押されて自分の夏期休暇の間だけ助手のベストに手伝わせて実験を行うようになりました。(略)「糖尿病の特効薬発見さる!」このニュースは全世界を駆けめぐりトロント大学のキャンパスが治療を望む糖尿病患者たちのテント村で埋め尽くされる事態まで起こりました。(略)1923年、バンディングはカナダ人として初めてノーベル賞を受賞することになったもののマクラウドが共同受賞することを知って怒り狂いました。マクラウドはバンディングの烈しい批判に耐えかね、ついに大学教授職を退いたのでした。しかし、そのバンディングも後にインスリンの特許を1ドルでトロント大学に譲って研究の世界から去り、以後何百万人もの命を救うことになるインスリンの発見物語を決して口にすることなく、この世を去ったのでした。

現代の目線で言えば「インスリンの特許が1ドルで譲られる」など信じられないこと。しかしながら、その結果、多くの糖尿病患者が安い費用でインスリン治療を受けることが出来るようになったのです。人類はマクラウドとバンディングの大喧嘩に感謝すべきなのでしょうね。

易者

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