5者のコラム 「易者」Vol.100

そもそも占いとは何なのか?

或る日FB上に「私は占いが大嫌いだ」という書き込みがありました。占いを論じてきた私が感じたことをこの機会に書き留めておこうと思い、次の文をアップしました。

私は占いを論じることが嫌いではない。占いを嫌いな人が少なくないことは了解しているが占い的は太古の昔から人間社会を深く規律しており、その野生の思考は現代においても生きていることを私は某人類学者から学んだ。これまで易者のコラムは92本書いている。だが、まだ論じ足りないと思っている。他方、私は「占いそのもの」には興味がない。血液型も・手相も・方角にも興味がない(法学には関わるけど)。

 私はこのコラム全体で「合理的なもの」と「非合理的なもの」のバランスをとりながら叙述を進めているつもりです。若干ひねくれているところがあるので、合理性を声高に主張する人には非合理性の意義をぶつけてみたくなるし、非合理性にのめり込んでいる人には合理性の存在価値を説いてみたくなります(いわゆる「ソクラテス・メソッド」)。占いは太古の昔から人間社会を深く規律しており、その野生の思考は現代においても生きていることを私は易者のコラムで何度も述べてきました。このことを理解せず表層的科学論を振り回すことはかえって著しい不合理性をもたらす場合があると考えています。私が「占い・呪術」に興味を持つのは上述の意味においてであって、それを離れた、占いそのものには興味がありません。コラムを書く材料として占いをしてもらったことは何度もありますが、その結果に一喜一憂することはありませんでした。私が興味を持つのは「占い」ではなくて「そもそも占いとは何なのか」という問い(メタ占い)です。このコラムは、弁護士を業とする私が占いを「隠喩(メタファー)」として取り上げているに過ぎないものだからです。