「リチャード三世」観劇1
2026/6/21久留米シティプラザにて「リチャード三世」(主演:吉田羊)を観劇する。この観劇は「歴史」記述者としての視点と「演劇」鑑賞者としての視点があり得る。今回は歴史的観点。
リチャード3世は死の約1世紀後に書かれたシェイクスピアの戯曲『リチャード三世』(1591年初演)において(ヨーク朝に代わり新たに興った)テューダー朝の旧敵として「残忍・卑屈で・容姿が醜く・兄の幼い子2人を殺害させた極悪人」として描かれる。権力者が前の政治権力を悪しく描くのは歴史の常であるから「リチャード3世の悪名はテューダー朝によって着せられた濡れ衣(プロパガンダ)である」として「名誉回復を図ろう」とするRicardianが勃興するのも判る。
2012年9月5日、その遺骨が(記録された埋葬場所と一致する)レスター市中心部の駐車場下から発見された。「530年ぶりに駐車場下から悪名高い王の遺体が見つかる」と報じられた。遺骨は頭蓋骨に戦闘で受けたとみられる複数の傷があり脊柱に強い脊椎側彎症が確認され(悪評を補強するための「偏見」と考えられていた)リチャード3世の「せむし」が事実であった可能性が高いことを示した。遺骨発見に貢献した歴史家のジョン・アッシュダウン・ヒル博士により探し出されたリチャード3世の姉アン・オブ・ヨーク(1439-1476)の女系子孫のミトコンドリアDNA鑑定をレスター大学が行い、2013年2月に遺骨を「リチャード3世のもの」と断定した。同チームは遺骨からDNAを採取し、ゲノム解析のうえ髪や瞳の色などの容姿の特定、ならびに健康状態の調査をする方針を2014年9月に発表した。遺骨を法医学的に分析した結果「ボズワースの戦い」で11か所の傷を負っていたことが明らかになった。9か所は兜によって防護されていなかった頭部にあり頭蓋骨には鋸のような武器で削いだ傷や骨を貫き脳にまで達した刺し傷もあった。致命傷になった2か所の傷は脳内に数センチメートルから10センチメートル程度入り込む頭蓋骨への刺し傷であり、一瞬にして意識を失い、その後に心肺停止したと考えられている。遺体は両足が切断されていたという。
2015年3月26日、遺骨はレスター大聖堂に再埋葬された。コーンウォール産楢材でつくられた棺に納められ、霊柩馬車に牽かれ、ヨーク家の象徴である白薔薇を持つ市民たちが沿道で見守る中、市内を回りレスター大聖堂に「国王の礼をもって」改葬された。カンタベリー大主教ジャスティン・ウェルビー、ウェセックス伯爵夫人ソフィー、グロスター公爵リチャード王子(即位前のリチャード3世と同名同号である)同公爵夫人バージッドが臨席し、桂冠詩人デイム・キャロル・アン・デュフィー(英語版)による詩が俳優のベネディクト・カンバーバッチ(遺体のDNA分析で血縁者と判明)の朗読によって捧げられ、リオネル・パワーによる『詩編』を基に作曲した音楽が演奏され女王エリザベス2世から直筆の手紙が贈られた。2022年には遺骨の発見に至るまでの過程を実話に基づいて描いた映画『The Lost King(失われた王)』が英国で公開された。
今般、日本の普通の聴衆にはあまり馴染みがない「リチャード三世」(@シェイクスピア)が上演される意義は、史実としての(実際に歴史を生きた)彼と、テューダー朝の敵役として「性格が残忍・卑屈で・容姿が醜く・兄の忘れ形見エドワード5世ら幼い2人を殺害させた極悪人」として描かれる彼の「ギャップを埋める」点も大きいように思われる。(以下、次号に続く)
* 演劇の公式パンフレットにも上記事実は細かく紹介されています。特に「少年2人をリチャード3世が殺害した」という点に関しては今も冤罪説が根強くあるようです。法律家として驚くべきことはリチャード三世が治世下において「司法改革」の善政を行ったという事実です。保釈制度を整えたり訴訟費用を払えない貧乏人のために裁判をしやすい制度を作ったりしたというのです(毎日新聞外信部長・前ロンドン特派員:篠田航一氏による)。歴史的な人物の評価は難しい。

