2010年2月15日 / 最終更新日 : 2024年1月6日 webmaster 八丁島の御供納 西鉄大牟田線の「宮の陣」駅から東に延びているのが西鉄甘木線。3つめに「古賀茶屋」(こがんちゃや)という駅があります。江戸時代に薩摩街道の茶屋が置かれていたので付いた地名です。その直ぐ北の集落が「八丁島」。この村に伝わる「 […]
2009年11月11日 / 最終更新日 : 2022年10月17日 webmaster 歴史コラム(未来への不安) 将棋の対局において局面は常に変化しています。対局者は常に複数の選択肢を有しています。その複数の選択肢は各々についての複数の選択肢を要求します。その結果として、数手先の局面でさえも、対局者が全く予想していなかったものにな […]
2009年8月12日 / 最終更新日 : 2023年2月8日 webmaster 宮入博士と筑後川 ブリヂストン創業者・石橋正二郎氏の久留米市に対する貢献は膨大なものですが、目立たないものとして昭和32年(1957年)久留米市内の小中学校(21校)にプールを寄贈したことがあげられます。何故に石橋正二郎氏は高額の費用を負 […]
2009年7月15日 / 最終更新日 : 2022年10月17日 webmaster 歴史コラム(建物とトポス) 古い建物が好きな者にとって「博物館明治村」(犬山市)は夢のような存在です。 ここに移築された建物は著名なものだけでも帝国ホテル、森鴎外夏目漱石邸、宇治山田郵便局、聖ヨハネ教会堂等数え切れません。行ったことのない方は公 […]
2009年6月15日 / 最終更新日 : 2023年9月21日 webmaster 石橋迎賓館 市役所の北に広い敷地を持つ洋風建築物があります。風情のある門に「石橋迎賓館」 「ISHIBASHI MANSION」と記されています。久留米の歴史を象徴する建物のひとつです。「石橋迎賓館物語」(毎日新聞筑後版02年4月か […]
2009年3月12日 / 最終更新日 : 2022年10月14日 webmaster 歴史コラム(ルーツを探る) アメリカは「建前としての自由・平等」と「実態としての貧困・差別」が混在している不思議な国。1776年に独立宣言を起草したジェファーソンは200人の黒人奴隷を農作業に使用する偽善者でした。リンカーンは南北戦争中の1863 […]
2008年11月5日 / 最終更新日 : 2022年10月14日 webmaster 歴史コラム(まち歩きの興隆) 最近、ちょっとしたまち歩きブームが起きています。多くの街でまち歩きの会が催されています。先駆けとなったのは「長崎さるく博」の成功です。これまでの博覧会が「はこもの」に重点を置きすぎて開催地に根付いてこなかった反省の上に […]
2008年9月9日 / 最終更新日 : 2022年10月28日 webmaster 大石堰と五庄屋物語 筑後川の堰のうち山田堰以外は全て久留米藩のものです。久留米藩にとって筑後川からの取水がいかに重要なものであったかが判ります。堰にまつわる先人の苦労を象徴する物語として語り継がれているのが「五庄屋物語」です。五庄屋物語は […]
2008年8月12日 / 最終更新日 : 2023年10月15日 webmaster 山田堰と水車群 古来より筑後川中流両岸の村々は自然堤防(洪水の時に上流から運び込まれて堆積した土砂により自然に形成される微高地)上にありました。筑後川は荒れ川で知られ、自然堤防の規模も大きいものでした。このため両岸の村の人々にとって「 […]
2008年7月11日 / 最終更新日 : 2024年1月26日 webmaster 歴史コラム(掃苔へのお誘い) 先日、高野山の奥の院にお参りする機会がありました。一の橋から御廟までの約2キロの参道に数十万と言われる墓石があります。両脇に樹齢何百年と感じられる老杉の巨木が連なっており、独特の霊気を感じさせます。鳥居が備えられている墓 […]
2008年6月10日 / 最終更新日 : 2022年10月26日 webmaster 天才とバカ殿 久留米藩第7代藩主である有馬頼ゆき(1712~1783)は16歳で藩主になり70歳で亡くなるまでの54年間、久留米藩を治めました。頼ゆきは極端に異なる2つの顔を持つ特異な人物でした。以下、河村哲夫「海路・筑後人物伝」(海 […]
2008年3月11日 / 最終更新日 : 2023年12月17日 webmaster 歴史コラム(東京裁判と歴史散歩) 大学3年生の時に国立市の映画館で映画「東京裁判」(小林正樹監督)を観ました。長時間(約4時間半)の映画なのですが2回連続で観ました(計9時間)。1回目を見終わってロビーを出る時に、これから入ろうとする英語のネルソン先生( […]