2008年8月12日 / 最終更新日 : 2024年7月23日 webmaster 山田堰と水車群 古来より筑後川中流両岸の村々は自然堤防(洪水の時に上流から運び込まれて堆積した土砂により自然に形成される微高地)上にありました。筑後川は荒れ川で知られ、自然堤防の規模も大きいものでした。このため両岸の村の人々にとって「川 […]
2008年7月11日 / 最終更新日 : 2024年1月26日 webmaster 歴史コラム(掃苔へのお誘い) 先日、高野山の奥の院にお参りする機会がありました。一の橋から御廟までの約2キロの参道に数十万と言われる墓石があります。両脇に樹齢何百年と感じられる老杉の巨木が連なっており、独特の霊気を感じさせます。鳥居が備えられている墓 […]
2008年6月10日 / 最終更新日 : 2024年5月22日 webmaster 天才とバカ殿 久留米藩第7代藩主である有馬頼徸(1712~1783)は16歳で藩主になり70歳で亡くなるまでの54年間、久留米藩を治めました。頼徸は極端に異なる2つの顔を持つ特異な人物でした。以下、河村哲夫「海路・筑後人物伝」(海鳥社 […]
2008年3月11日 / 最終更新日 : 2024年5月21日 webmaster 歴史コラム(東京裁判と歴史散歩) 大学3年生の時に国立市の映画館で映画「東京裁判」(小林正樹監督)を観ました。長時間(約4時間半)の映画なのですが2回連続で観ました(計9時間)。1回目を見終わってロビーを出る時に、これから入ろうとする英語のネルソン先生( […]
2008年2月9日 / 最終更新日 : 2024年5月8日 webmaster 有馬記念の産みの親 久留米における石橋正二郎氏の貢献に匹敵するのが、倉敷市における大原孫三郎氏の貢献です。大原氏は倉敷紡績の社長や中国銀行の頭取として活躍する一方、大原美術館や倉敷中央病院の開設、大原社会問題研究所の運営など百年後を見据えた […]
2007年10月10日 / 最終更新日 : 2024年3月21日 webmaster 久留米ツツジの芽生え 毎年春になると久留米の街中はツツジの花で彩られます。主要な公共施設や中央分離帯などに沢山の久留米ツツジが植栽されており市民の目を楽しませてくれます。 久留米百年公園では恒例のツツジ祭りが開かれます。園芸業者が自慢の作品 […]
2007年8月1日 / 最終更新日 : 2022年12月25日 webmaster 歴史コラム(感想戦としての歴史) 対局後に対局者や立会人が混じり1局を振り返って「ああでもない・こうでもない」と語り合っているもの・あれが感想戦です。プロ棋士の対局では概ね行われています。負けた側は自分のどの差し手が問題であったのかを理解しないと敗局が身 […]
2007年4月24日 / 最終更新日 : 2024年6月23日 webmaster 歴史コラム(古地図の楽しみ) 歴史散歩の必須アイテムが古地図。私は「歴史に興味を持ったから古地図を収集した」のではありません。自宅を購入する際に「候補地の過去を確認したい」と思って久留米の古地図を入手したのが出発点。が入手した古地図は私の久留米に対す […]
2007年3月30日 / 最終更新日 : 2024年6月14日 webmaster 寺町の遍照院 寺町の遍照院には江戸から昭和にかけての久留米の歴史が凝縮しています。以下「久留米市史第2巻」及び「第3巻」高山精二「久留米の町・寺社めぐり」福岡県歴史教育者協議会編「福岡歴史散歩北九州筑後コース」(草土文化社)などを基礎 […]
2007年2月6日 / 最終更新日 : 2022年12月25日 webmaster 歴史コラム(経緯としての歴史) 「経緯」とは何でしょう?「経」は縦糸「緯」は横糸のことです。日本人は地球上の位置座標を表現するために地球の上に蜘蛛の巣(ウェブ)のような線をイメージして縦糸にあたるものを「経度」横糸にあたるものを「緯度」と名付けました。 […]
2006年12月20日 / 最終更新日 : 2022年11月20日 webmaster 歴史コラム(見知らぬわが町) 行きつけの書店で「見知らぬわが町-1996真夏の廃坑」と題された薄い本(葦書房)を手に取ったのは偶然でした。私がこの本に引きつけられた理由は表紙写真(四ッ山第1竪坑のヤグラ)のシュールさにありました。30秒ほど立ち読み […]
2006年9月26日 / 最終更新日 : 2024年3月3日 webmaster 久留米の法曹ゾーン 平成18年秋、福岡地裁久留米支部付近に新しい法曹ゾーンが出現しました。裁判所を中心にして左側(北)に新しい検察庁拘置所が、右側(南)に新しい筑後弁護士会館が誇らしげに建っています。「筑後の歴史散歩」はこの法曹ゾーンから始 […]