5者のコラム 「学者」Vol.10

非体験者の虚偽供述と事実認定

浜田寿美男「うそを見抜く心理学」(NHKブックス)はこう述べます。

1 非体験者の虚偽供述は、時間をさかのぼって理屈で物語を構成せざるを得ないために現実とどうしても折り合わない矛盾・あるいは不自然さが含まれてくる。
2 体験者は第3者が採取した証拠から推測できる以上の何かを知っている(秘密の暴露)。非体験者は与えられた現場状況や諸証拠から出発して何とか組み込んだ物語を組み立てることしかできないため、無知が露呈してしまう(無知の暴露)。
3 過去の痕跡から「過去の世界」を立ち上げようとするとき、その痕跡そのものには時間の指標がついていない。そこで、この痕跡を理屈でつないで物語を作り出そうととすると、そこに時間の順序として明らかにおかしい話が入り込んでくる。
4 記憶は現在から過去へ向かう心的機能であって、自ずと時間の遠近法)が働く。時間的パースペクテイブにおいても遠くのものはぼんやりと大まかにしか見えない。ところが想像という働きは問題となる場面にそのまま臨場し遠い過去の出来事を精細に描いてしまう。
5 体験者の記憶は、体験に忠実である限り、その「自己の視点の内」に閉じる。ところが想像はしばしば自己の限られたパースペクテイブを超え、あたかも他者の心を内から体験したかのように「自他の境界」を越えてしまう。

他人の話したことが事実に即したものであるか否かの見極めを要求されるようになったとき素人の市民が的確な事実認定を出来るのか私は不安です。素人の常識や感覚は浜田氏の指摘するような理知的・分析的な検討に馴染むものなのでしょうか?

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