5者のコラム 「役者」Vol.25

時分の花・まことの花

 世阿弥は次のように述べます(「風姿花伝」岩波文庫14頁)。

  稚児といい、声といい、しかも上手なれば、何かは悪かるべき。
      さりながら、この花はまことの花にはあらず。ただ時分の花なり。

 「時分の花」の中でしか出来ない仕事があります。羽生さんも20歳前後の「羽生マジック」に魅せられた人は少なくありません。羽生さんがタイトル完全制覇を成し遂げた後、燃え尽きて将棋を辞めてしまうのではと私は心配しました。杞憂に終わりましたが羽生さんはその後王座1冠に追い込まれ無冠の危機まで囁かれました。この危機を救ったものとしてベテランの頑張りを見たことを羽生さんは語っていました。将棋の対局は朝から深夜まで続く脳の格闘技です。この過酷な戦いを60代・70代のベテラン棋士が孫ほどの若者に混じって続けています。そこには若年棋士には無い「花」があります。羽生さんはベテラン棋士の「まことの花」に救われたのです。
 弁護士は原子からイオンに変化します(医者4)。情熱が低下し不安が消えます。消えるというより、その質が変化します。若い弁護士の不安の中身は経験の不足ですが、ベテラン弁護士の不安の中身は過去に痛い思いをした経験です。若い頃は見識をふりかざして和解案を依頼者に押しつけがちですが和解の怖さを経験すると自分は本人の利益を図る代理人だということが骨身にしみて判ります。裁判所の意向よりも依頼者の意向のほうがはるかに大切になります。私が変化の必要性を実感したのは執行部において紛議調停や綱紀懲戒などに接したことや無理な和解を試みた他の弁護士が解任されるのを目撃した経験などによります。以後私は依頼者の意思を地道に実現するよう努めています。地味な行為の積み重ねこそ「まことの花」に繋がると思っているからです。