5者のコラム 「易者」Vol.138

感染症と信仰問題

新型コロナウイルスの蔓延に際しフェイスブック上に残した覚え書き(2020年5月)。
 八坂神社で御朱印をもらっても「八坂神社」とは書かれていない。「祇園社」と書かれている。江戸時代以前ここは寺(祇園寺)であった。神社とされたのは明治政府の神仏分離政策による。主祭神はスサノオ尊とされるが江戸時代以前は牛頭天王であった。牛頭天王の本地仏が薬師如来とされている。当初、牛頭天王は「疫病をもたらす神」と考えられていたが、逆に「それを祀れば疫病から免れることが出来る」という信仰が生じた(今風に言えばワクチン)。今年こそ祇園祭の山鉾巡行を盛大にやるべきか。(5月9日)菅原道真が大宰府で亡くなったのは延喜3(903)年だ。6年後に藤原時平が亡くなり20年後に保明親王が亡くなる。保明親王の死亡原因は咳病(インフルエンザ)。醍醐天皇は改元するも7年後に落雷が清涼殿を襲い道真左遷に関わった人が多数死ぬ。衝撃を受けた醍醐天皇は3か月後に亡くなる。その原因も咳病だった。当時の御所にインフルエンザウイルスが蔓延していたのは間違いない。菅原道真は雷神であるとともにインフルエンザウイルスの祟り神だったかもしれない。今年は天神祭も盛大にやるべきか。(5月10日)
 当時は疾病を祟りと認識しました。感染症が蔓延するほど祟りを鎮める祈願を行いました。現代の医学知見から考えれば祈願祭を盛大にやるため密集状態になって更なる感染爆発を起こしていたものと考えられますが、科学知識の無い時代であればやむを得なかったのでしょう。かような観点から昔の人々が病に対しどれほど不安を感じながら生きてきたのかを見つめ直す必要がありますね。