5者のコラム 「学者」Vol.86

学力の軽視と司法改革の繋がり

FBへ投稿。 新聞に政府の教育再生会議が国公立大学2次試験からペーパー試験を廃止する意向と伝える記事が載っていた。人物評価を重視するそうだ。政府やマスコミが知識を毛嫌いするのが判らない。羽生名人は「将棋が強くなるためには知識(定跡)を踏まえた上で自分なりの工夫(新手)を試すことが重要だ」と発言していた。知をふまえない自己流なんて社会に通用しない。「知識偏重」とか「一発勝負」という妙な難癖をつけて先人の知的遺産を学ぶことに否定的な評価をする政府やマスコミは何を考えているのか?この流れで「司法試験改革」は行われ見事に失敗した。
A 「ペーパーだけじゃダメ」ということと「ペーパーはダメ」ということの違いの意味が判らないんでしょうね。文科省とマスコミは。
B 「知識はあるが変わり者」と「知識はないが普通人」のどちらがスペシャリストとして相応しいか誰だって判るはずです。ペーパー試験すら通過できない者が社会に出てから求められる過酷な情報戦争を生き抜いていけるとは到底思えません。
C 一時的でも目一杯努力するという経験や、成果を出すということがどういうことかを学ぶ良い機会だと思いますけどね。自分が採用担当だったときに「何故学歴をみるのか」という問いに対して当時の上司が“努力することを当たり前と思う人が多いし、成功体験をたくさん積んでいるから”と答えてくれたのはいまだに覚えています
D オリンピック選手の選抜に競技成績よりも人気や人柄を重視することはあり得ませんね。インテリ系の選抜で知識や学力を捨象としようとするのか全く判りません。