5者のコラム 「5者」Vol.66

偽りても賢を学ばむ

このコラムを書いている理由が何なのか?自分でも良く判りませんが、確実に言える理由の1つとして「知識人の1人としてリスペクトされたい」というものがありましょう。私は学者になることを志し挫折した人間です。若い頃に時間と労力を費やして収集した知識と経験のかけらを「ブリコラージュ」(5者52)として提示する作業は「若くして亡くなった我が子に死化粧を施すような気持ち」(@我妻栄)を抱かせてくれるのです(学者5)。
「徒然草」の次のフレーズが気に入っています(第八五段)。

狂人のまねとて大路を走らば、すなわち狂人なり。悪人のまねとて人を殺さば、悪人なり。きを学ぶはきのたぐい、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばむを賢というべし。

(現代語訳)狂人のマネだと言って大通りを走れば本物の狂人になる。悪人のマネだと言って人を殺せば本物の悪人になる。駿馬をまねる馬は駿馬の仲間、舜をまねれば舜の仲間に入る。本心からでなくても、賢人を見習おうと努める者は賢人と呼んで良いのだ。
 私は多くの書物を引用していますが、全部読んでいるわけではありませんし理解しているわけでもありません。知識人としてリスペクトされたい動機で「偽りても賢を学ばむ」作業をしているだけです。兼好法師がかかる行為をも「賢」と言ってくれることを心の支えにして自分に残された時間を投入しているのです。現代社会にはバカのマネをしている人が多いと感じます。バカを演じつつ「本当はバカではない」という無言のアピールをしている人が少なくないようです。しかしバカを演じている人は「本当にバカになる」というのが兼好法師の教えです。私は本心からでなくても「賢人を見習おうと努める」という意味での「賢人」でありたいと思っています。

学者

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