5者のコラム 「医者」Vol.93

ビョ-キに対する寛容の心

10代後半から20代前半にかけて私は「自分は悪人だ・自分は変人だ・世界は不正義だ」という自己意識の煉獄に苛まれていた。今から考えれば単なるビョーキだったのだが、当時はまわりの人間こそビョ-キだと思っていた。しかし自己意識の肥大化のため哲学・文学・精神医学の書籍類を大量に読むことが出来たのだから人生良く判らない。ビョ-キになったことが今の自分を作っていると今更ながら思う。ビョーキ万歳。
 若い頃のビョ-キは(長い目で見れば)酷いビョ-キになりにくくする免疫形成過程でもあります。若い頃に全くビョ-キをしていない人は、十分な免疫形成が出来ない結果、大人になって酷いビョ-キにかかり短時間で死に至ることがあり得るのです。羽生名人は「短期的にリスクをとることが長期的なリスクを最小限にする」という名言を残されています。目先のリスクを怖がると、かえって巨大なリスクを呼び込んでしまいます。若い人が悩み・苦しむ状態に陥ることは(主観的な体験としては)望ましいことではないかもしれません。若者が非社会的な状態(非行・放蕩・過激な言動・引きこもり等)に陥ることは大人にとっても歓迎すべき事態ではないでしょう。しかし、かような短期的症状は長期的に見れば「社会的免疫形成を得るために必要なビョ-キ」なのかもしれません。
 ストレスは本人にとって激しい苦痛です。しかし、ストレスを乗り越えるところにこそ事後の成長のための秘密が隠されています。大人には中長期的・複眼的な思考が不可欠です。最近の社会風潮を拝見していると「目前のリスクをいかにして撲滅するか」ばかりに意識が向かっているように感じられます。でも上述のとおりビョ-キをあまりに嫌い過ぎるとかえって酷いビョ-キになり死を早めることもあり得ます。私は「長期的にみたリスクを最小限にする」ためにビョ-キに対する寛容の心を育てることが重要だと考えています。