2015年4月13日 / 最終更新日 : 2024年11月14日 webmaster 三池港周辺2 三池港の東北、歩いて約10分くらいのところに素晴らしい洋館があります。三井関係要人の社交倶楽部・外国高級船員の宿泊・皇族を含めた政財界人の迎賓館として利用されてきました。100年以上のときを経た今も現役で総合結婚式場やレ […]
2015年3月16日 / 最終更新日 : 2024年11月8日 webmaster 三池港周辺1 平成27年2月21日、私は「三川坑見学会」に参加しました。車で早めに家を出て正午前に大牟田に到着しました。三池港周辺を散策し、旧三井港倶楽部で昼食をとり、見学会に参加する充実した1日を過ごすことが出来ました。この日に得 […]
2014年8月11日 / 最終更新日 : 2024年9月25日 webmaster 蒲池の姫君 西鉄大牟田線に「蒲池」なる駅名があります。柳川市北部に残る地名です。この蒲池を舞台にした2人の姫君の物語です。以下、大城美知信他「柳川の歴史2・蒲池氏と田尻氏」(柳川市)河村哲夫「筑後争乱記・蒲池一族の興亡」(海鳥社)中 […]
2013年2月18日 / 最終更新日 : 2024年10月30日 webmaster 夏目漱石と久留米4 原武哲先生の研究によると漱石は久留米に5回も来ています。漱石が松山を発ち、熊本の第五高等学校に赴任して離任するまでの約4年3ヶ月の間に集中しています。以下、原武先生の「夏目漱石と久留米・伝記と作品」(日本英学史学会九州支 […]
2013年1月16日 / 最終更新日 : 2024年10月21日 webmaster 夏目漱石と久留米3 「吾輩は猫である」に多々良三平という奇人が出てきます(五と十一)。多々良君は久留米に縁がありますが、あまり認識されていません。原武哲「喪章を着けた千円札の漱石」(笠間書院)に沿って三平君の会話を読んでみます。五の登場の場 […]
2012年12月17日 / 最終更新日 : 2024年11月11日 webmaster 夏目漱石と久留米2 私は前回、菅虎雄が保有する漱石の書簡を久留米にいた虎雄の「親族」が預かっていたこと、この親族が預かっていた書簡は「ある事情によって」永久に失われたことを述べています。最初に結論を示します。この親族とは虎雄の妹「順」です。 […]
2012年11月16日 / 最終更新日 : 2024年10月23日 webmaster 夏目漱石と久留米1 100年の長きにわたり日本人を魅了している文豪・夏目漱石。雑司ヶ谷霊園にある墓には、今でも多くの漱石ファンが訪れています。しかしながら、この墓碑を揮毫したのが「菅虎雄」という久留米出身の人物であることは(漱石ファンにすら […]
2012年8月17日 / 最終更新日 : 2023年2月8日 webmaster 歴史コラム(フィールドワーク) 先日、銀閣寺の茶会に参加する機会がありました。有馬頼底・相国寺管長の御縁によるものです(慈照寺銀閣は相国寺の塔頭寺院)。前日から京都に入り修習生時代の友人と酒を酌み交わして楽しい時間を過ごしました。友人に「昼間何をしてい […]
2012年7月17日 / 最終更新日 : 2024年10月25日 webmaster 東京の石橋正二郎3 今回は美術に関する正二郎の足跡を辿ってみます。正二郎は荘島小学校時代、後に画壇の巨匠となる坂本繁二郎から絵の指導を受けています。坂本はフランス留学をへて大正13年に久留米に戻りますが、正二郎は坂本から次の願いを聞かされま […]
2012年6月15日 / 最終更新日 : 2024年10月25日 webmaster 東京の石橋正二郎2 石橋正二郎は「自分の趣味は建築・庭園・美術だ」と人に語っていました。今回は前2者(建築と庭園)を見ていくことにしましょう。 東京に拠点を移した正二郎は麻布永坂町に私宅を構えます。正二郎は昭和8年に洋館の建つ土地を購入して […]
2012年5月21日 / 最終更新日 : 2024年10月25日 webmaster 東京の石橋正二郎1 石橋正二郎顕彰会の企画で東京に出向いたので3回にわたり東京における石橋正二郎の足跡を追ってみることにします。本稿は石橋正二郎「私の歩み」「回想記」石橋幹一郎編著「石橋正二郎」(新潮社)小島直記「創業者・石橋正二郎」(新潮 […]
2012年4月16日 / 最終更新日 : 2023年8月13日 webmaster 歴史コラム(ファスト風土化の光と影) 「ファスト風土化」は評論家三浦展氏が「ファスト風土化する日本・郊外化とその病理」(洋泉社新書y・2004)において展開した概念です。三浦氏は「ファスト風土化」を悪と主張します。 それは直接的には地方農村部の郊外化を意味 […]