5者のコラム 「芸者」Vol.158

雨の中傘をささずに踊る

某FB友の書き込みです。

雨の中、傘をささずに踊る人間が居ても良い。だけど、ずぶ濡れになる覚悟はしなくてはいけない。ずぶ濡れになった後、人に「服を貸して下さい」とお願いして断られても文句を言ってはいけない。しぶきを飛ばして周囲に迷惑をかけてもいけない。自由とはそういうことだ。

「自由」とは厳しい概念です。学生の頃「自由からの逃走」(フロム)を読み、私は「人は何故自由を放り出してしまうのか」不思議に思いました。「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)などを読むことで多少は腑に落ちたのですが、大学を卒業すべき時になっても私は「自由」を放り出す気にはなれず、モラトリアム時間を得て「自由業」にチャレンジし仲間に入れて頂くことが出来ました。この仕事は「自由」です。 雨の中、傘をささずに踊っている人がたくさん居ます。ずぶ濡れになっている人もたくさん居ます。昔は業界全体が比較的豊かだったので、後で他人に「服を貸して下さい」とお願いする如き人は見受けませんでした。自分が選択した結果に責任を持てる者として「孤高」を保っていたように私は記憶します。弁護士における自由は(世間から)迷惑に感じられることがあり得ます。ずぶ濡れになった自分のしぶきを「周りに振りまいている」ように見える場合だってあるでしょう。しかしながら、それは弁護士という特殊な職業が必然的にまとう属性であり、世間の「迷惑」を意識しすぎると仕事自体が成り立たなくなる契機を含んでいます。なので弁護士会はこの職業が必然的に纏うところの「自由と正義」の意義と困難性を社会に訴え続けていかなければなりません。他方、ずぶ濡れになっている若手会員に対して弁護士会が「服を貸す」程度の手立てを何か考えていかなければならないのでは?と最近強く思うところでもあります。

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