5者のコラム 「易者」Vol.158

疫学と差別

「ダークツーリズム」を提唱する井出明教授が西日本新聞に次の論考を提供。

経験的に病者を遠ざけることで感染の拡大を防止できることを知っていた人類は防疫の役割を島に負わせることが多かった。現在、感染爆発が起きているイタリアのベネチアの繁栄は近くのラッヅアレット・ヴェッキオ島に病者を集めたことに負うところも多い。移民国家としてのアメリカの繁栄の陰にはニューヨークのマンハッタンに上陸する際に近隣のエリス島で検疫を含む健康チェックを行い病者は上陸を拒まれたという悲しい記憶がある。日本においても島はしばしば隔離の場として使われた。一昨年、世界文化遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の1つとして登録された頭ヶ島も元々は疫病の対策として病者を留め置いた場所である。(略)遡って、現状のコロナウイルスへの市民の接し方を見るとき病気への対峙が病者への差別と一体化しつつある状況に懸念を覚える。(略)社会が落ち着いたら是非ともハンセン病療養所を有する日本の美しい島々を訪れていただき、感染症の患者と市民のかかわり方について再度考える機会を持ってはいかがであろうか。

感染症対策は本来は純然たる医学の問題です。が「病者を遠ざけることで感染の拡大を防止できる」という疫学(=公衆衛生)の視線は市民の中に「病者に対する差別的視線」を生みだしました。迫害を受けていた鯛ノ浦の潜伏キリシタンが無人島たる頭ヶ島に移住したのは明治2年とされます。次いで明治43年着工から約10年を費やして、大正8年に頭ヶ島教会堂(世界遺産登録)が竣工しました。この島に病者が「強制的に」隔離されたのです。隔離は市民の<明示または黙示の支持>によるものでした。そこに社会的「暴力」が潜んでいるのです。市民を守る疫学の観点は(ほんの少し注意を怠るだけで)不合理な差別を生み出してしまいます。要注意!