5者のコラム 「5者」Vol.126

過去理解か・未来予感か

ある学校の国語先生が<現代文の意味>について説明されていたので引用。
 

最初の授業なので、担当者である私が考える「現代文とは何か?」の定義も披露しました。「現代文」というのは最もその輪郭が漠然とした科目なので、そこに輪郭を与えておく必要があるのですね。で、今日の授業で提示した現代文の定義は【「身分け」と「言分け」とを媒介的統一に導く文章】です。「あの経験にはそんな意味があったのか!」と、経験で既に得ている知を概念化してくれる文章は現代文。「何を言っているか全然分からないけれど、何か自分に関係がありそうな気がする」と、いずれ訪れる経験知を予感させてくれる文章も現代文。過去理解か未来予感か、現在の文章がいずれかの形で現実を生きる生き身に役立つならそれが現代文です。だからその両方の意味で自分に関係が無いと思う文章については定期試験が終わったらポイしちゃって下さい。

私は理系崩れで文系に行ったので国語が嫌いでした。「作者が本当に言いたいことなんて他人に判るもんか」と思っていました。そんな私でも上記説明は腑に落ちます。本コラムは上記現代文の要件をみたしたい。ある程度の経験を積んだ若手弁護士に「あの経験にはそんな意味があったのか」と既に得ている知を概念化してくれる文章でありたい。これから実務に入ろうとしている修習生や学生に「何を言っているのか分からないけれど何か自分に関係がありそうな気がする」と、いずれ訪れる知を予感させてくれる文章でありたい。過去理解か・未来予感か。このコラムがいずれかの形で法曹を志す若者に役立つ文章であるならば私が書き続けている意味もあります。なので、いずれの意味においても「自分に何の関係も無い」と考えるコラムについてはポイしちゃって下さい。