5者のコラム 「学者」Vol.40

逸脱行動の積極的意味

ミシェル・フーコーは逸脱行動に関し次の3つの視点を提示しました(木田元「フーコー思想の考古学」新曜社16頁以下)。第1:逸脱に対する社会的ラベリングを動的に考察し解放に向けての実践的契機に繋げようとするもの(「狂気の歴史」に結実)。第2:逸脱(特に犯罪)を社会における管理のあり方とみなし処罰する権力装置の冷徹な認識を社会的課題に結びつけようとするもの(「監視と処罰」に結実)。第3:逸脱(特に性行動)を行為者の主観から考察するもので逸脱は実存の表現であると考えるもの(「性の歴史」に結実)。
 これらを下敷きに弁護士実務に関して以下の視点が得られます。第1の視点は法律問題を社会の運動様式とみなし、抑圧からの解放を社会変革における実践的闘争に結びつけようとするものです。第2の視点は法律問題を文化人類学的な疎外の表現とみなし、これを規律・管理する社会の歴史に関する冷徹な認識を問題解決に結びつけようとするものです。第3の視点は依頼者の意識(主観)から問題を考察しようとするもので法律問題を依頼者がよく生きようとする模索の表現(実存の表現)であると考えるものです。受験生の頃、私は第1の視点に惹かれていました。法律問題を「社会変革の契機」と考える弁護士に憧れていました。しかし実務家になり、かかるあり方に疑問を感じるようになりました。依頼者を手段と考えている気がして馴染めなくなったのです。私は第2の視点に惹かれるようになりました。法律問題を「歴史的に」考えるようになりました。この視点は現在も維持していますが個人の興味にわたる部分が多いので仕事と切り離した領域にしたいと思っています。現在は弁護士業務のあり方として第3の視点に惹かれています。法律問題を依頼者の具体的状況に即して考え、依頼者の「実存の美学」に直結するものとして解決の方向性を探りたいと感じています。