5者のコラム 「5者」Vol.154

論理の飛躍の意義と困難性

 内田樹先生は御自身のブログで次のように述べておられます。

名探偵の行う推理というのは、ひとつひとつの間に関連性が見出しがたい断片的事実を並べて、それらの断片のすべてを説明できる1つの仮説を構築することです。その仮説がどれほど非常識であっても、信じがたい話であっても、「すべてを説明できる仮説はこれしかない」と確信すると名探偵は「これが真実だ」と断言する。それは「論理」というよりむしろ「論理の飛躍」なんです。それは実際に学術的な知性がやっていることと同じです。カール・マルクスや・マックス・ウェーバーや・ジーグムント・フロイトはいずれも素晴らしい知的達成をなしとげ人類の知的進歩に貢献したわけですけれど彼らに共通するのは常人では真似のできないような「論理の飛躍」をしたことです。

修習生は「法律要件に該当する事実を見出してこれを支える証拠を発見できれば裁判に勝てるんじゃないか」と安易に考えがちです。が、目の前に散乱している断片的な「事実」を裁判所が「権利」として認めてくれる状態にまで提示する行為は「論理」だけでは成し遂げられない。良い法律家に見受けられる特徴も「論理の飛躍」です。「論理的な思考」など「跳躍に至る助走」に過ぎない。何故ならば経験則の適用を支える帰納法的論法には論理が飛躍する場面が必ず生じるからです。この違いが判らない人に実務法曹の活動実際を語る資格はありません。修習生が最初に直面するのが事実認定の困難性ですけれども論理の飛躍を裏付ける規範(「経験則」)適用を最終的に担保するものは法律家の「勇気(決断力)」です。飛躍が出来ない法律家に飛躍はありません。