5者のコラム 「役者」Vol.78

職人世界の価値観

 昔、私の実家の隣りには鍛冶屋がありました。職人さんが赤い鉄の塊から包丁や鎌を作り出す過程を眺めているのが大好きでした。職人さんは寡黙な人でした。子供が眺めていても黙々と仕事をしていました。私の父も畳職人であり、私は小さい頃から仕事の現場に良く連れて行かれました。大学時代、周囲には音楽や映画に熱中する友人が多くいましたが、私は演劇に惹かれました。それは大量生産が出来ない演劇の特質(生の役者が1回限りの演技を目の前で行うしかない)に職人技のようなものを当時の私が感じたからではなかったかと今にして思います。
 司法研修所における実務法曹教育は徹底した職人教育でした。60名の生徒に5名もの教官が配されていました。教材はよく考えて作られており、私たちが行う起案(求められた法律文書の作成作業)は教官から1通1通真っ赤に添削されて返ってきました。法律実務の生命を次世代に伝えていこうとする職人的営みがそこにはありました。実務修習も同様でした。全国各地に散らばる実務修習において、修習生は先輩法曹から大変な歓待を受け、先輩法曹の仕事を直接に見聞することが許されました。疑問が有れば直ぐ尋ね、丁寧な回答を得ることが出来ました。一般人が入ることが出来ない拘置所等に特権的に入ることが許され、裁判所の和解協議の席に立ち会うことも出来ました。私は職人的雰囲気の司法研修所と実務修習が大好きでした。私の中には職人世界の価値観が今も強く残っています。イソ弁(勤務弁護士)になることを「就職」という言葉で呼ぶことには抵抗があります。弁護士界にも企業化の流れが出てきていますが私のような田舎弁護士には無縁の世界です。生の役者さんが全身全霊を込めて1回限りの演技を観客の目の前で行うように私は「法律の職人」として目前の1つ1つの仕事を地道にこなしていきたいと思っています。

易者

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