5者のコラム 「医者」Vol.160

無病息災より一病息災 自分の中の悪の認識

膝の内視鏡手術から4ヶ月経った日のFBへの投稿。

昨日はリハビリの日。理学療法士の方から「手術前よりも健康そうですね」と声を掛けられた。たしかに体の調子が良い。肩の凝りも全く無くなった。自宅でも行うようにした筋力回復訓練が功を奏している。以前は肩こりのためマッサージを受けていたが今は必要ない。適度な筋力回復訓練のほうが肩こりには治療効果がある。>この書き込みに対し保坂晃一先生から「これを一病息災と言うそうです。」との御教示がありました。「一病息災」は「無病息災」から出来た言葉。「1つの持病があるため健康に気を配ることで、かえって体調が良い状態」を指します。無病息災は漠然と健康である印象ですが、一病息災では意識して健康を保っている印象があります。病気と健康は本来は対立する概念です。しかし「一病息災」においては「仲良く共存する概念」になっています。

上記規範は社会生活にも妥当します。ソクラテスが喝破した如く「自分は知者である」と考えている者よりも「自分の無知」を認識して「よく知ろう」と努力する者のほうが知性が高い。だとしたら「自分は健康だ」と信じている者よりも自分のビョーキを認識し「健康であろう」と努力する者のほうが健康度が高いように思います。同様に自分の中に「善」のみ認めて社会生活を漫然と営んでいる者よりも自分の中に小さな「悪」を認め、他に人に害を及ぼさないよう気を配っている者のほうが社会に「悪」を拡げない(結果として「善」を実現する)ように思われます。自分の「善」のみ主張する者こそが巨大な「悪」を推進している場合がけっこうあります。私は「自分の悪を意識しない無病者」であるよりも「自分の悪を意識する一病者」でありたいと思っています。