5者のコラム 「易者」Vol.111

死者の葬送方式

 京都の清水寺近くに「鳥辺野(とりべの)」という地名がある。都の中心から外れた立地で、墓地の多い場所だが、地名にも少し怖い由来がある。この地は昔、鳥葬の地で、人が亡くなるとその死体が捨てられる野原だった。それをついばもうと鳥たちが集まったから「鳥辺野」と呼ばれたのだという。都から鳥辺野へ至る途中の六道珍皇寺は古来あの世への入口だと考えられてきた。境内にある井戸は冥界につながっており、平安時代の公家・小野篁(おののたかむら)はここから地獄に通い閻魔大王の補佐をしていたとの伝説が残っている。(略)この時代の人々にとって死体は決して珍しいものではなかったようだ。つまり人が亡くなればお墓に入れるのが「常識」となったのはさほど古いことではないのだ。また、ほとんどの宗教で墓について何も定めておらず、本来仏教においてもきちんと埋葬して墓を建てなければ成仏できないという思想はない。お釈迦さまの故郷であるインドでは死体はガンジス川に流していたからだ。(略)人を焼くには大型の火葬場が必要だし神道では死体を焼くものとは考えていなかったから、ほとんどの庶民が土葬されていたと考えられる。さらに明治に入ると仏教的習慣が否定されるようになり明治6年に火葬禁止令が発布されたが、衛生面の問題や土葬のスペース不足から2年後の明治8年には解除されている。葬送の歴史には紆余曲折があったのだ(ホームズプレス16/5/21)。 死者の葬送方式には人間の長い歴史が込められています。時代によって違いますし宗派によっても違います。「現在」の「自分」の価値観で「他の時代」「他の地域・民族・宗派」の葬送についてレッテルを貼ってはいけません(最近は葬儀をしない人も目立ちます)。私も相応の年齢になり、親族や自分自身の葬儀や墓のことを考えるようになりました。