5者のコラム 「役者」Vol.129

歌詞によるエッセイのようなもの(その2)

 「探し物は何ですか?見つけにくいものですか?」
 20歳の頃は探し物に熱中していた。本当の自分?生きる意味?これらを自分の内面で探そうともがいていた。そんなことが出来るはずもなく、いやおうなしに社会の中で生きることを模索した。しかし30歳を過ぎ・仕事を始め・結婚し・子供が出来て・組織の役員にもなると・目の前のことをこなすことに必死。それらに区切りがついた頃から、ある程度は自分と社会との距離感が判ってきた。「探すのを止めたとき見つかることもよくある話で」

 「明日嫁ぐ私に『苦労はしても笑い話に時が変えるよ・心配要らない』と笑った」
 自分の手を離れてゆく子に対し親は「大丈夫・なんとかなる」という言葉の花束を贈る以外に何が出来るでしょう?(その親自身が大丈夫ではない状況にあったとしても。) この歌詞を真似て私も仕事上で似た様な言い方をするときがあります。「いつか今の状況を過去形で語れるときが来ます。笑い話で語れれば良いですね。」

 「日々の暮らしは嫌でもやって来るけど静かに笑ってしまおう」
 突然襲ってくる異常事態。自分には非がない事故。そういう非日常的なことの後も「日々の暮らし」(日常性)が嫌でもやって来る。そんなとき「何故?」と問うても仕方がない。神様を恨んでもしようがない。涙がこぼれないように上を向いて今後を「如何に?」と問うしかない。
 「わけの判らないことで悩んでいるうち老いぼれてしまうから」