5者のコラム 「学者」Vol.90

学ぶとは何か(内田樹講演録)

自分の意識が覚えていなかったことを身体が無意識的に覚えている。自分の知的資源には潜在的・無意識的なものもある。固定的価値観に縛られない。世間人は「自分の見たいもの」しか見ない。今の自分に理解できないものが世の中に存在することを受け入れる。今の自分では説明も分類も出来ないものが存在することに驚く。そのとき生き延びるための力(真の知性)が働きだす。これまで生きてきて経験したことを総動員しなければ解けない問題に出会うことが大事。解けないからファイルせず散らかったままデスクトップに放置するのだ。ちらかったものが勝手に繋がる。ランダムなものに繋がりを見出すことが知性の原初形態だ。何故自分はこの選択をしたのか?すぐ説明できるものは大したものではない。身体的直感による選択の正しさは事後的にしか説明できない。振り返って初めて「自分はこういうことがしたかったんだ」と判る。フライングする知性を大事にする。何故か判らないが無意識が促す。勇気を出してついてゆく。師に対する盲目的な尊敬が知性を発動する。「師がやっている以上、凄いものであるに違いない」という確信(メッセージを掴み取ろうとする意識)が学びを発動する。師から降りてくるメッセージをつかまえる。自分に向けられた問いを読み取る。「これは自分に向けられた問いだ」という妄想が重要なのだ。自分にしか解けない問題が存在することを意識する。その問いを解こうとするときに真の知性が発動する。教師の仕事は我慢することだ。弟子の知性がいつ開花するかなんて予測不可能。教師が教えることなんてほとんどない。教師は撒餌をするだけ。弟子が自分で食いつくのを待つしかない。学びには忍耐が必要。忍耐を支えるのは尊敬である。教師は生徒の中にある知性の神様に一礼して仕事をしなければならない。