5者のコラム 「役者」Vol.141

力の衰えの表現方法

内藤國雄九段が「芸事」と「将棋」の違いに関して述べています(将棋世界)。

同じ技能でも一方は「力の衰えを頑として認めない」のに一方は「オーバーに認める」。その大きな違いが面白い。どうしてそういうことになるか?不思議な気がしていたが、次のように考えて納得した。どちらもプライドを守りたいという気持ちは同じだが仕事の性格の違いがこういう正反対の結果を生むのである、と。芸事の多くは将棋のようにはっきりと勝負がつかない。一旦できた評価は余程のことがないかぎり安定している。本当に厳しい目を持つのはほんの一握りで、ファンの大半は甘い目で好意的に見てくれるから、胸を張っていれば通用する。皮肉っぽい見方かもしれないが、そういった傾向がある。勝敗の結果を隠せない将棋ではそうはいかない。言い繕っても空しいだけである。それならいっそ力の衰えをしっかり認めてしまったほうが昔はこんなじゃなかったと強調することになり好都合である。まあ、こういった自尊心のからくりがあるのではないか。

法律業務は芸事に近いように私は感じます。訴訟は結果が判決で厳格に示される面が存在しますが、主たる解決方法は和解であって明確に勝負がつかないことも多いのです。弁護士の評価も1戦毎にレーティングが変わるというわけでもなく、為された評価は余程のことがない限り安定していたように感じます。厳しい目を持つのは裁判官・書記官などほんの一握り。昔は市民の大半が弁護士を好意的に甘い目(?)で見てくれたので胸を張っていれば通用しました。この特性のゆえに年配弁護士の多くは法律家としての力量の衰えを頑として認めない傾向にあったように思います。が、今や甘えは通用しません。将棋のように「残念な結果」がネットで瞬時に広まるようになるかもしれません。力の衰えが周囲に露呈しないように「自尊心を持って努力を継続する」他はありません。