5者のコラム 「易者」Vol.34

「物理」と「物語」の調和

五木寛之氏は「元気」(幻冬舎文庫)においてこう述べます。

この世のことはすべて「物理」か「物語」のどちらかであると私は思う。「物理」は証明できなければならない。そして「物語」は共感されなければならない。その両方が大切なのだ。そして私たちはこの「理解」と「共感」の2つの世界の間を、揺れる振り子のように行きつ戻りつしながら生きるのである。「物理」の世界にかたよってしまうことを科学主義におちいるという。「物語」の世界だけに生きることを神秘主義におちいるという。私たちはこの両方にふれてはじき返され、もう一方に振れてはまた反対に動く。どちらか片方にいって止まってしまったらおしまいなのである。生あるものはつねに揺れ動きながら生きるのだ。(中略)人間は「物理」だけでは生きてはいけない生きものだ。この世に生きていくためには片方に「物語」という証明不可能な世界がどうしても必要なのである。(51頁)

法律実務を「物理」的証明と同じように誤解する人は少なくありません。民事でも刑事でも自分の主張を裏付ける事実的根拠を示す訴訟遂行行為は立証と呼ばれています。科学的証明が伴わなければならない分野も多く存在します。交通事故の再現には工学的手法が・医療過誤では医学の知見が・建築訴訟では建築学の知見が不可欠です。しかし訴訟行為としての立証は科学で行われている証明とは異なります。一定の条件下では誰が行っても同じ結果が得られること・定立される命題が反証可能性を有していることが科学の要素です。法律実務における立証はかかる科学的手続とは無縁です。書証調とは当事者から提出された紙媒体をコピーして裁判所に提出する作業に過ぎず、人証調は法廷で人が話すことに過ぎません。誰がやっても同じでなければならない物理的証明とは異なります。弁護士の訴訟行為とは自分が提示する物語を裁判官に共感してもらう説得活動に他なりません。

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