法律コラム Vol.52

集団的空ローン事件

 資金調達手段に困った企業が商取引の裏付けのない割賦販売(空ローン)を組織的に行い消費者が巻き込まれている場合があります。知らない間に名義を使われている場合は偽造として正面から争えば良いのですが、名義利用を許諾していた場合は責任を問われることがあります。以下は某呉服業者が空ローンを組んで資金繰りして行き詰まったところ最終的に残った金額を信販会社が消費者を提訴した事件において消費者側で議論したものです。事案を広い視野で裁判官に考えて欲しかったので冒頭段階で論じました。(中野・三溝・高橋・下東などの諸先生との協同)

第1 契約意思を巡る法思想の流れ
 1 民法における意思自治の原則の意義
 (1) ローマ法
  ローマ法の特徴は法律行為における要式性。法律行為は証人としての5人のローマ市民と秤を持つ1人のローマ市民とが見守る中で形式的な言葉と象徴的な動作をもって遂行されなければならないとされた。形式に従わない行為は無効になった(田中成明他「法思想史」有斐閣23頁、船田淳二「ローマ法入門」有斐閣15頁、碧海純一「法と社会」中公新書93頁)。ローマ法においても諾成契約が認められていなかったわけではない。ただ、合意そのものが契約の拘束力の根拠とはされておらず、単なる無方式の合意からはローマ市民間に訴権は生じないとされた(広中俊雄「契約法の理論と解釈」創文社18頁)。契約の拘束力の根拠は個人の意思にではなく外形的規律に求められていた。個人の意思があっても外形が無ければ契約の効力は認められないし、外形があれば契約の効力が認められる方向に傾く。
 (2) 近代法
  私的自治の原則・意思自治の原則と呼ばれる民法の基本原則は「法律関係の変動が生じる根拠は人の意思であり人が意欲するが故にそれに対応した効果が生じるとする思想」をいう(石田穣「民法総則」悠々社258頁、川島武宜「民法総則」有斐閣法律学全集166頁)。近代法の法思想家(サヴィニーやヴィントシャイト)は契約の拘束力の根拠を「結果を欲したこと」(内心的効果意思)に求めた。拘束力は意思表示の効果とされた。ただし私法上の権利義務関係がすべて意思理論で説明できるわけではないし、これを貫徹できるわけもない。近代法は個人の自由を最優先し個人の意思を基礎にした法理論を構築したが、私法には「個人主義的根本理想」の他に「取引の安全という理想」や「資本主義の発達のために生存を脅かされる社会の全員の生存の保障という理想」もある(我妻栄「民法講義Ⅰ」岩波書店・序文6頁)。
 2 意思自治の原則の変容
 (1) 企業法と表見法理
  我妻博士の言う「取引の安全という理想」を押し進めたのが企業法である。反復継続的に行われる商取引を安定的かつ迅速に行うため外形が重視された。企業法全体を貫く権利外観法理が個人主義的理想と同様に重視されるようになったのである。かかる企業法的理念は既に現行民法にもある程度は取り込まれている。民法上認められる表見法理の規定は企業法的要請を民法の起草者がある程度は尊重せざるを得なかったことを物語る。ただ表見責任は「意思表示にもとづく責任」そのものではない。取引社会を守るため他律的に負わされる法定責任である。この区別は重要。なぜなら意思責任は「本人が結果を欲したこと」に責任の根拠が認められるのに対し法定責任は「本人の意思に反してでも課する」ことに本質があるからである。
 (2) 消費者法の発達
  我妻博士の言う「資本主義の発達のために生存を脅かされる社会の全員の生存の保障という理想」を追求するため発達したのが社会法である。社会法の発展形態は様々であるが共通するのは「自由・平等・独立の個人」という幻想を排して現実の生活状態に即した実質的な正義が各々の場面で追求されることである。その1つが消費者法なのである。長尾教授は消費者保護の理念を以下のように説明する(長尾治助「消費者法講話」民事法研究会)。消費者行動には①刺激②知覚③動機形成④意思決定という4点がある。そして消費者の置かれた状況として①宣伝の氾濫と選択の自由の形骸化②欠陥商品と人間存立目的の軽視③マーケティング偏重と購入商品との不適合④過剰な個人信用供与を特徴ととらえている。この「過剰な個人信用供与」は本件のような事案においてこそ十分斟酌さるべきである。信販会社は売上高拡張の本能的欲望を有しており、これが販売店管理の甘さに直結するからである。かかる現実の生活状態に即した実質的な正義を追求するため発達したのが消費者保護法であり、消費行動における意思主義の徹底が問題である。内心的効果意思が点ではなく線(プロセス)として保護されるべきことが求められる。民法で軽視される動機が重要な位置を占めること、取消や撤回等が広範に認められることなどが特徴である
第2 物品販売における信用供与法の解釈
 1 総説
  民法で「売買」は最も基本的な契約類型である。しかし販売者側の企業にとっての最大の関心事は商品そのものにではなく、代金債権の回収にあると言っても過言ではない。 かかる代金債務の支払方法について民法はわずかの関心しか寄せていない。しかし即金でしか決済が出来ないなら商品販売額は限られたものにしかならない。現実の経済社会では商品販売額を増加させるため代金債権の企業金融化のため様々な工夫がなされてきた。その代表的なものが企業間信用供与としての手形であり、消費者に対する信用供与としての割賦販売である。
 2 手形法
 (1) 意義と機能
  手形法は商法の中で最も機能的に構成されている企業法である。手形は商品売買代金の決済機能を中心として発達したものであるが、その法的特性に鑑み独立の金融手段としての機能も発達した。かかる副次的機能も手形の生理的機能として(病理的機能としてではなく)認められている。
 (2) 手形意思表示の抽象性
  手形関係は原因関係から切り離された抽象的権利関係であるという理解が為されている(木内宜彦「手形抗弁の理論」新青出版第1論文)。かかる理解は意思表示そのものを抽象的にとらえることに繋がってくる。その帰着するところ、手形であることを認識して署名すれば直ちに手形意思表示を認定するというところにまで行き着く。手形意思表示にあっては原因関係の認識は要件ではなく、上述した副次的機能に向けた認識であっても手形意思表示として認められる。かかる手形関係の抽象性ないし手形意思表示の抽象性は徹底した企業法たる手形の特質から導かれるものであり手形行為を行おうとする者への警告となる。企業法たる手形法にあっては「厳格・迅速・外観重視」の理念から出発して(西原寛一「商行為法」法律学全集26頁以下参照)抽象的な法律関係が構成されている。
 3 割賦販売法
 (1) 意義と機能
  割賦販売法は消費者保護の理念にもとづき制定されている。かかる消費者保護の理念は近年において消費者契約法が制定されたことにより実定法的裏付けを強化したものといえる。これは長尾教授の言う④過剰な個人信用供与という側面に即応するものである。割賦販売法が規制対象とする立替払い契約の経済的機能は個別の商品売買の代金の決済手段(信販会社から消費者への信用供与)だけであり、これ以外には存在しない。立替払契約は商品面と決済面を有するが、前者では個別具体的な商品の特定が不可欠であり、後者でも具体的な信用供与手段の特定が不可欠である。かかる個別具体的な事実関係を離れた抽象的な「立替払契約」は存在し得ない。立替払契約が個別の商品売買を離れて独立の金融手段たることはあり得ない。販売者がかかる目的で立替払い契約を使うことは制度の目的外であり、それは生理現象ではなく病理現象である。したがって「名義貸し」という社会的に認められる法的実体は存在しない。存在するのは「制度を悪用する販売業者」と「業者の監視を怠った信販会社」と「販売業者に乗せられた顧客」だけである。名義貸しという法律要件は存在しないのである。法の適用にあっては、かような具体的事実関係をふまえる必要がある。
 (2) 立替払契約の意思表示の具体性
  かかる意義と機能に照らし「名義貸し」に向けた意思表示など存在し得ない。立替払い契約の経済的機能は個別の商品売買の代金の決済手段だけであり、個別具体的な商品売買に向けた個別具体的な信用供与方法たる意思表示がなければ、立替払い契約に向けた意思表示ではない。もともと立替払い契約は無因契約ではない。商品売買契約がないのに、これを前提とした立替払い契約など存在しない。名義貸しという法律要件が存在しない以上、これに向けた意思表示など存在しない。信販会社に対する立替払い契約の意思表示があると原告が主張するならば具体的日時・場所・方法が特定される必要がある。角度を変えれば、こうも言いうる。手形は抽象的権利関係として構成されているから、意思表示の認定も抽象的で足りる。しかし消費者契約においては抽象的意思表示など存在しない。消費者保護法の根底にあるのは「過去の意思よりも現在の意思を重視する契約思想」「点ではなくプロセスとしての意思形成過程の重視」「具体的な生活状況をふまえた契約意思の認定」という徹底した消費者保護思想である。安易な契約意思の認定は消費者保護法の立法趣旨に反する。
第3 本件における適用
 1 信販会社主張の不合理性
 (1) 主張の意味
   信販会社各社は「本人による」契約を主張する趣旨であるらしい。そうであるならば、その本人による立替払い契約に向けた意思表示がいつ・どこで・どのようにして為されたのか明確に為されなければならない。かかる事項は契約の成立要件に主張立証責任を負うものが明らかにすべきものだからである。信販会社各社は、本件で外形的な契約書面が訴外*の社員によって作成されたことで単純に「立替払契約」の「意思表示」が為されたものと考えている節もある。しかしこれは近代法の思惟を遙かに飛び越えてローマ法の昔に遡るものといえよう。ローマ法にあっては契約の拘束力の根拠は個人の意思ではなく外形的規律(形式的な言葉と象徴的な動作)に求められていた。本件における信販会社各社は、訴外*の外形的な契約書面を、外形的規律(形式的言葉と象徴的動作)として国家の保護を求めていることになる。
 (2) 企業金融としての問題点
   本件はある「商品」の「売買代金」の「立替」が問題になっている。しかし、商品の特定がない売買契約は存在しないし、売買契約がないのにその代金は存在しない。したがって、その代金の立て替えは存在し得ない。本気で立替払い契約が主張されるのならば、この点をにらんだ信販会社の主張立証が求められよう。本件は商品販売代金の企業金融化のため工夫された信用供与手段の悪用が問題となっている。が使用されたのは企業間金融としての「手形」ではなく、消費者に対する信用供与としての「割賦販売」である。抽象的意思表示などあり得ない。事実認定では個別具体的な事情が最大限に取り込まれる必要がある。
 (3) 意思表示の解釈指針
   契約は「申込」と「承諾」から構成され、両者が一致したときに成立する。その具体的な事実を主張立証する責任を信販会社は負っている。しかるに、本件における顧客には「立替払い契約」にむけた内心的効果意思など無かった。顧客は呉服を購入する意思がなかったし、その代金を信販会社に立て替えてもらう意思も無かった。その「申込」は存在しない。信販会社にも申込に対応した承諾の意思表示は存在しなかった。信販会社は(表向きは)販売店による組織的名義借りを容認しないはずだから販売業者が自己の破綻回避目的で行った組織的名義借りをあからさまに承諾することはないだろう。両者の客観的合致はあり得ない。
 2 契約責任構成の帰結とその不合理性
 (1) 理論的意味
   契約責任が認められるということは契約者の積極的な「意思に基づく」と認められるということである。結果を積極的に欲したから責任を負えということである。ここには帰責性や信頼あるいは寄与度の比較といった観念は生じる余地がない。その事案において両者が受けた利益と不利益を実質的に議論しようという可能性も生じ得ない。何故ならそれが両者の「欲望せられた帰結」であり「両者の利益」だからである。これが本件事案の実体といかにかけ離れているかは前述したところに照らして明らかである。裁判例には契約責任を認めながら信販会社の過失を認め過失相殺の類推適用を議論するものがあるが、結果を欲して為した行為に「損害の公平な分担」などあり得ない。そのような判示をするなら契約意思を安易に認定すべきではない。
 (2) 実際的意味
   契約責任が認められるということは、中間で動いた第3者がいる場合にも、その者は責任を一切負わないことを意味する。その者は適法行為を行っているからである。その第3者に財産があったとしても第3者に対する請求権は(信販会社にも顧客にも)生じ得ない。しかし、かかる帰結は本件における当事者間の利害関係に全く反する。本件で責任を負うべきなのが加害者たる*の関係者であることは明白である。契約責任構成は本件の実体(事実と利害)に反している。

* 事後の期日において民法90・93・94・95・96条にもとづく具体的な主張を相当詳細に行いました。が裁判所は形式的判断をすることがほとんどです。契約書類への署名押印を承認していれば法律行為の成立を認めるのが一般的です。本件でも立替払契約の成立は認められてしまいました。他方、加盟店管理責任の観点はあまり酌んでもらえませんでした。本件は裁判所から若干の減額をした和解基準が示され、これを双方が受け入れて和解成立により終了しました。
* この事件後、特定商取引法と割賦販売法の改正法が平成19年6月に成立し、平成20年12月1日から施行されました。この改正では過剰与信防止義務や適正与信調査義務など信販会社の加盟店管理責任を大幅に強化しています。
* 平成29年2月21日、同種事案に関し最高裁は「このような経過で立替払い契約が締結されたときは購入者は販売業者に利用されたとも評価し得るのであり購入者として保護に値しないということは出来ない」との理解を示した上「割賦販売法35条の31項6号の事項につき不実告知があったとして立替払い契約の申し込みの意思表示を取り消すことを認めても同号の趣旨に反するとはいえない」として、原判決を破棄しました。

前の記事

売掛金請求訴訟の構造