2012年3月16日 / 最終更新日 : 2024年10月30日 webmaster ルーテル教会4 第6回久留米まち旅博覧会のパンフレットは企画№37を次のように紹介しています。 久留米の街なかに響くパイプオルガンの調べ」(2011/10/30) 久留米市日吉町のビルの中に佇む赤煉瓦づくりの教会「日本福音ルーテル久 […]
2012年2月15日 / 最終更新日 : 2024年10月30日 webmaster ルーテル教会3 久留米憲兵隊が置かれていた跡地は現在某葬祭会社の倉庫として使用されています。今回は、その会社を発展に導くとともに、久留米市の福祉のために尽力された木下勇氏についてお話しします。 木下勇氏は大正11年に久留米市櫛原町で生ま […]
2012年1月17日 / 最終更新日 : 2024年10月3日 webmaster ルーテル教会2 久留米ルーテル教会が営む「日善幼稚園」のスクールバスは子どもたちを幼稚園に降ろすと蛍川町の某会社倉庫に停められています。弁護士になって直ぐの頃、縁あって私もここに車を停めており「何故、幼稚園バスがここに停まっているのだろ […]
2011年12月14日 / 最終更新日 : 2024年10月5日 webmaster ルーテル教会1 日本福音ルーテル久留米教会は大正7年に建設された久留米最古の教会です。平成23年秋に久留米まち旅博覧会が「久留米の街中に響くパイプオルガンの調べ」の企画を立て参加者を募ったところ52名という多数の参加者を得ることが出来ま […]
2011年11月15日 / 最終更新日 : 2022年11月3日 webmaster 歴史コラム(旅と鎮魂) 歴史散歩を書くために多くの場所に足を運び時間と労力を費やしてきました。誰のために何のためにこのような作業を続けているのか?自分でも判らなくなるときがあります。内田樹先生はブログでこう述べておられます。 能におけるワキ […]
2011年10月15日 / 最終更新日 : 2024年10月20日 webmaster 古代の筑後3 「上津土塁」と言って何のことか判る人は久留米市民でも少数です。以下、久留米市文化財調査報告書第48集「上津土塁跡」(1986)と「歴史散歩№1水縄断層」を基礎に御紹介します。 (本稿の図面と写真は久留米市埋蔵文化財センタ […]
2011年9月16日 / 最終更新日 : 2024年10月15日 webmaster 古代の筑後2 筑後平野に突き出す形でそびえるのが高良山。高良山は有力者が覇権を競ってきました。標高312メートルですが筑前・筑後・肥前を見下ろす要衝です。高良山は別名高牟礼山(たかむれやま)と言い、高良玉垂命を祀る神山として信仰の対象 […]
2011年8月15日 / 最終更新日 : 2024年11月14日 webmaster 古代の筑後1 3回にわたり古代の筑後を散歩します。テーマとなるのは「古墳・山城・土塁」です。今回は八女古墳群を散歩しながら「磐井の乱」(528年)と古代権力創生過程を考えます。 八女市街地の北側にある東西10数キロメートルの八女丘陵の […]
2011年7月16日 / 最終更新日 : 2024年1月2日 webmaster 歴史コラム(日本の自然) 塩見鮮一郎「異形にされた人たち」(河出書房新社)に以下の記述があります。 幕末、勤王の志士は天皇を「玉」として担ぎ出した。徳川打倒の思想的根拠を天皇に求めたと言えよう。天皇を担ぎ出したことでイデオロギー主導型の明治維 […]
2010年12月15日 / 最終更新日 : 2024年10月22日 webmaster 歴史コラム(見えるモノと見えないモノ) 昭和20年8月9日午前11時2分、浦上天主堂斜め上方でB29ボックスカー爆撃機が投下したプルトニウム爆弾(爆縮型)が炸裂します。30年の歳月をかけて建設され大正14年に竣工した東洋一の大聖堂はその瞬間に破壊されました。今 […]
2010年11月15日 / 最終更新日 : 2023年10月24日 webmaster 大刀洗飛行場2 私は原地蔵で理容店を営んでいる伊藤月路と言います。今日は私の話を聞いてくださるそうで嬉しく思います。 私は昭和10年に大刀洗飛行場前で生まれました。父は三潴の出身ですが、大正12年に大刀洗に飛行場が出来るということで営門 […]
2010年10月14日 / 最終更新日 : 2024年10月22日 webmaster 大刀洗飛行場1 筑後に日本最大規模の飛行場が存在したことを記憶する人は極少なくなっています。そこで2回にわたって大刀洗飛行場を取り上げます。今回は客観的記述を、次回は主観的記述を試みます。 以下「大刀洗平和記念館・常設展示案内」「証言 […]