2013年2月18日 / 最終更新日 : 2025年3月30日 webmaster 夏目漱石と久留米4 原武哲先生の研究によると漱石は久留米に5回も来ています。漱石が松山を発ち、熊本の第五高等学校に赴任して離任するまでの約4年3ヶ月の間に集中しています。以下、原武先生の「夏目漱石と久留米・伝記と作品」(日本英学史学会九州支 […]
2013年1月16日 / 最終更新日 : 2025年5月20日 webmaster 夏目漱石と久留米3 「吾輩は猫である」に多々良三平という奇人が出てきます(五と十一)。多々良君は久留米に縁がありますが、あまり認識されていません。原武哲「喪章を着けた千円札の漱石」(笠間書院)に沿って三平君の会話を読んでみます。五の登場の場 […]
2012年12月17日 / 最終更新日 : 2025年9月6日 webmaster 夏目漱石と久留米2 私は前回、菅虎雄が保有する漱石の書簡を久留米にいた虎雄の「親族」が預かっていたこと、この親族が預かっていた書簡は「ある事情によって」永久に失われたことを述べています。最初に結論を示します。この親族とは虎雄の妹「順」です。 […]
2012年11月16日 / 最終更新日 : 2025年3月13日 webmaster 夏目漱石と久留米1 100年の長きにわたり日本人を魅了している文豪・夏目漱石。雑司ヶ谷霊園にある墓には、今でも多くの漱石ファンが訪れています。しかしながら、この墓碑を揮毫したのが「菅虎雄」という久留米出身の人物であることは(漱石ファンにすら […]
2012年8月17日 / 最終更新日 : 2025年2月21日 webmaster 歴史コラム(フィールドワーク) 銀閣寺の茶会に参加する機会がありました。久留米藩主の流れを汲む有馬頼底相国寺管長の御縁によるものです(慈照寺銀閣は相国寺の塔頭)。前日から京都に入り修習生時代の友人と酒を酌み交わして楽しい時間を過ごしました。友人に「昼間 […]
2012年7月17日 / 最終更新日 : 2025年7月13日 webmaster 東京の石橋正二郎3 今回は美術に関する石橋正二郎の足跡を辿ってみます。 正二郎は荘島小学校時代、後に画壇の巨匠となる坂本繁二郎から絵の指導を受けています。坂本はフランス留学をへて大正13年に久留米に戻りますが、正二郎は坂本から次の願いを聞 […]
2012年6月15日 / 最終更新日 : 2025年6月25日 webmaster 東京の石橋正二郎2 石橋正二郎は「自分の趣味は建築・庭園・美術だ」と人に語っていました。今回は東京に残る前2者(自宅と鳩林荘庭園)の痕跡を見ていくことにしましょう。 東京に拠点を移した正二郎は麻布永坂町に私宅を構えます。正二郎は昭和8年に洋 […]
2012年5月21日 / 最終更新日 : 2024年10月25日 webmaster 東京の石橋正二郎1 石橋正二郎顕彰会の企画で東京に出向いたので3回にわたり東京における石橋正二郎の足跡を追ってみることにします。本稿は石橋正二郎「私の歩み」「回想記」石橋幹一郎編著「石橋正二郎」(新潮社)小島直記「創業者・石橋正二郎」(新潮 […]
2012年4月16日 / 最終更新日 : 2023年8月13日 webmaster 歴史コラム(ファスト風土化の光と影) 「ファスト風土化」は評論家三浦展氏が「ファスト風土化する日本・郊外化とその病理」(洋泉社新書y・2004)において展開した概念です。三浦氏は「ファスト風土化」を悪と主張します。 それは直接的には地方農村部の郊外化を意味 […]
2012年3月16日 / 最終更新日 : 2024年10月30日 webmaster ルーテル教会4 第6回久留米まち旅博覧会のパンフレットは企画№37を次のように紹介しています。 久留米の街なかに響くパイプオルガンの調べ」(2011/10/30) 久留米市日吉町のビルの中に佇む赤煉瓦づくりの教会「日本福音ルーテル久 […]
2012年2月15日 / 最終更新日 : 2024年10月30日 webmaster ルーテル教会3 久留米憲兵隊が置かれていた跡地は現在某葬祭会社の倉庫として使用されています。今回は、その会社を発展に導くとともに、久留米市の福祉のために尽力された木下勇氏についてお話しします。 木下勇氏は大正11年に久留米市櫛原町で生ま […]
2012年1月17日 / 最終更新日 : 2024年10月3日 webmaster ルーテル教会2 久留米ルーテル教会が営む「日善幼稚園」のスクールバスは子どもたちを幼稚園に降ろすと蛍川町の某会社倉庫に停められています。弁護士になって直ぐの頃、縁あって私もここに車を停めており「何故、幼稚園バスがここに停まっているのだろ […]