5者のコラム 「5者」Vol.68

「見立て」について

野田秀樹さんは演劇「THE BEE」のパンフレットでこう述べます(小道具礼賛)。

演劇にとって大事なものはテーマではない。小道具である。この事を世界中を回って改めて確信した。この芝居で人々が暴力を語る時、それは「暴力」そのものではなくて「鉛筆の音」を意味している。芝居の世界ではそうした小道具の使い方を「見立て」と呼ぶ。私は最近ますます「見立て」こそが演劇の根源的な力だと思うようになってきた。芝居における男性による女役、あるいはその逆、女性による男役がすんなりと行くのは舞台は「見立てる」ことができるからである。舞台では椅子を犬に見立てることも出来るし男と女に見立てることも出来る。大人を子供に見立てることも可能だ。これが映像だと絶対に無理である。

このコラムは弁護士を医者・学者・役者・易者・芸者に見立てています。私は弁護士が厳密な意味でこれらの仕事と同じ職業的性質を有しているなどと考えているわけではありません。私がやっているのは「見立て」に過ぎないのです。弁護士を医者に見立てるとき、人は傷ついた患者を治療する専門職をイメージしています。学者に見立てるとき、人は厚い専門書を読み込む知的職業人をイメージしています。役者に見立てるとき、人は舞台の上で役割を演じる仮装人格者をイメージしています。易者に見立てるとき、人は少ない情報から他人の一生を左右することをズバッと言い当てる怪しげな人物をイメージしています。芸者に見立てるとき、人は高い金銭を得つつ男の欲望を実現する女性をイメージしています。対象を「見立て」るイメージ力こそ、このコラムの根源的な力です。見立ては安上がりに済むイメージ喚起の方法です。このコラムは学術的体系的な論文ではありません。単なるブリコラージュ(出来合いの物の寄せ集め)に過ぎません。時間と費用をかけるわけにはいきません。だから安上がりの「見立て」で良いのです。